お稚児さんの選び方は?京都通しか知らない「祇園祭」完全ガイド

 

神幸祭・還幸祭の魅力

祇園祭の神幸祭は3基の大神輿と子供神輿がのべ1,000人以上の氏子の担ぎ手によって担がれます。京都の祇園祭は男祭そのもので、真っ白な法被(はっぴ)姿の男衆が神輿を担ぐ姿はとても迫力があり圧巻です。朝の豪華絢爛な山鉾巡行とは打って変わって、神幸祭の神輿渡御は「暴れ神輿」といわれ勇壮で豪快なのが特徴です。午後6時頃から祇園石段下で1基ずつ大神輿が勇猛な男衆により担ぎ揉まれます。スサノオノミコトの荒御霊のように神輿が暴れ狂う様は圧巻です。「ホイット ホイット」という掛け声とともに勇壮に差し上げ三基の神輿を同じ方向にまわします。祇園石段下はステージと化したようになり熱気と掛け声、歓声で湧き上がります。その後神輿は1基ずつ違う経路を通って、3時間ぐらいかけて四条寺町の御旅所に向かいます。八坂神社を出発した神輿は夜9時頃に相次いで四条寺町に到着し豪快な「差し上げ」を披露します。この夜から7日間、24日の還幸祭まで神輿は御旅所に鎮座します。

見どころは祇園石段下御旅所前ですが、17時ごろから石段下の周囲は多くの人が詰めかけます。早くから場所取りがおこなわれます。私は例年2時間以上前にはスタンバイしています(笑)。御旅所前の四条通は石段下より狭いですが、その分近くで豪快な「差し上げ」を見ることが出来ます。

7日後24日の還幸祭は神幸祭の逆のことを行います。夕方御旅所を出発し夜9時ぐらいに八坂神社に帰っていくのです。

祇園祭のもう1つの顔である山鉾巡行の魅力 山鉾巡行(行事)と鉾町(ほこちょう)の歴史

鉾町が出す山や鉾の歴史は応仁の乱以前まで遡ります。足利将軍の世継ぎ争いに端を発した応仁の乱は、数十年間続き京の都を焼け野原にしてしまいました。京都郊外に住む飢えた極貧の農民は土一揆を起こすも、足利将軍家を始め武士達はそれを鎮圧する力もなくなっていました。町の中心部はしばしば郊外に住む貧農による土一揆で家が焼かれる被害にあっていました。

農民の一揆に手を焼いた幕府の管領(幕府の要職)は、市内の町民を集めて土一揆を起こす農民の住む町に攻め入りました。しかし、町民は弱いもの同士が殺し合う事に疑問を抱き、武士階級に対する不信感を強めました。そして町民たちも農民と同じように税金を払わないことで武士階級に抵抗することを決めます。町民は武士に抵抗するために団結力を見せる必要がありました。その団結力こそが町民の手による祇園祭の山鉾行事の再興でした。この時、町民は戦乱で30年以上途絶えていた祇園祭の再興を決意したのです。

しかし武士達はこの祭りを邪魔しようとしていました。祭の直前に武士達から神事取りやめの命令が出されます。それまで600年ほど「祇園会」(ぎおんえ)は神事として行われてきました。しかし、約30年ぶりに町民の手による神事なしの祇園祭を強行したのです。これこそが八坂神社の神事とは別に山鉾巡行が完全に町民のものとして行われるようになった祇園祭の発祥です。祭当日、山鉾巡行の時、武士側の侍や僧兵が立ちはだかります。武士たちの放つ矢が町民に当たり、死傷者も出るような惨事もありました。それでも彼らは命と引き換えに祇園祭を永遠に続ける事を町民に言い残しました

応仁の乱が終わっても荒廃した京都に約30年間祇園会を再興する事は出来ませんでした。再興するきっかけは鉾町の町民の武士階級への反発の原動力とも言える団結力でした。数十年もの間沢山の人の血が流れたため、町民は可能な限り平和的な反発や抵抗がしたかったのです。それが祭り再興への一致団結の強い気持ちでした。西暦1500年にかつての祇園会が祇園祭として再興していなかったら、今日の祇園祭はなかったかも知れません。

祇園会として600年以上、祇園祭として516年続く今年の祇園祭。昨年は台風11号の影響で中止の可能性がなかった訳ではありません。でも今まで悪天候がもたらす洪水や干ばつなどによる疫病を防ぐ目的で始まったのが祇園会です。過去516年間分かっているだけで中止中断された時は数えるほどしかありません。1467年の応仁の乱後の32年間、1582年の本能寺の変の年は11月に延期。1865年は蛤御門の変の影響で前祭が中止されました。明治以降は3回の時期に延期や中止を余儀なくされました。1879年から1895年の間にコレラの流行が原因で4回ほど延期や前倒しが行われました。第二次世界大戦前後、1943年から1946年の4年間は中止されています。戦後は1962年の阪急電鉄の工事にともなって一度だけ中止されています。悪天候での前回の中止又は延期は131年前の1884年に大雨の影響で前祭の延期という記録があるのみです。こうして見ていくと、いかに祇園祭が鉾町の町民に大切に受け継がれてきたかがよく分かります。

昨年、前祭の日の天気予報が大雨なので、前日に何人かの鉾町の方に山鉾巡行が中止にならないのか尋ねました。すると、どの方も「雨天決行大雨強行」と言われていました。鉾町の方達はどんなに炎天下で暑くても、土砂降りの雨でも天候の事など気にもしていない様子でした。京都府警察は山鉾連合会に悪天候で祭を強行して死傷者が出ても責任は取れないと通告したそうです。それに対して山鉾連合会は悪天候が理由で中止して京都に疫病が流行したら誰が責任取るのかと返したとか。京都では警察官や政治家も伝統の力には勝てないといった感じなのかもしれません。

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