お稚児さんの選び方は?京都通しか知らない「祇園祭」完全ガイド

 

山鉾を彩る豪華絢爛なタペストリーの謎

祇園祭の山鉾は様々な懸想品によって色とりどりに飾られています。懸想品には豪華絢爛な海外のタペストリーが使われています。どうして海外の素晴らしいタペストリーが日本の祇園祭で現在でも使われているのでしょう? これは依然テレビ番組でその謎が解明されていました。

江戸時代、鎖国をしていた日本は唯一オランダとは交易がありました。オランダのハーグ国立公文書館の平戸オランダ商館の記録にタペストリーが徳川幕府への献上品に含まれていることが分かっています。タペストリーが徳川家の手に渡った経路は、イエスズ会の宣教師が贈ったという説などが伝えられています。海外の公文書によると受取人所有者は徳川将軍家ということになります。ベルギーのブリュッセルから、徳川家に対して贈られてきたのがペルシャなどで織られた最高級品質のタペストリーだったのです。

京都の豪商「三井本店」(越後屋)の文書では、「紀州徳川家34万両200億円以上貸方が記録されているようです。オランダから徳川幕府に渡ったタペストリーが、増上寺・加賀藩・尾張藩・紀州藩などに渡っています。そしてその一部のタペストリーは借財を背負っていた藩から京の町衆の手に移っているのです。

ただ将軍家から京の町衆にタペストリーが渡った経路は分かっていません。これは京都の町衆が相手方(将軍家)に迷惑をかけないようにとの粋な配慮があって敢えて記録に残していないともいわれています。そんなことを記録に残していたら徳川将軍家が京の町衆から多額の借金をしていたという不名誉な事実が語り継がれてしまうからです。

三井家では、55万両もの金を大名たちに貸し付けていたといいます。町衆は単に金持ちというだけでは京都で尊敬されません。芸術的な審美眼があり「目利き」であることが要求されていました。そして、祇園祭の山鉾に対する目配りもその1つだったようです。それにしても江戸時代には、武士よりも商人の方がお金持ちで、徳川将軍家よりも京都の豪商の方が裕福だった時代だったのですね。

宵山(山鉾巡行前夜)を楽しむポイント

  1. 駒形提灯が灯り、コンチキチンと祇園囃子が奏でられる山鉾の鑑賞。情緒がありノスタルジックでなんとも言えない雰囲気が最高です。
  2. 子供たちの童歌(わらべうた)を聞く。「粽(ちまき)どうですか」と会所で粽を売る子供達の姿や、「ろうそく一丁献ぜられましょう」と、節を付けて歌うわらべ歌。その様子は祇園祭の情緒を盛り上げます。
  3. 鉾上に登らせていただく。
  4. 夜10時過ぎは各山鉾の日和神楽(ひよりかぐら)を鑑賞する。

日和神楽とは

日和神楽は京都の夏の風物詩です。これが風流でとてもいいものなのです。宵山(16日、23日)の夜10時ぐらいから各鉾町を出て四条寺町のお旅所まで、翌日の巡行の晴天や無事を願いお参りに出向きます。屋台に太鼓や鉦(かね)を積み、祇園囃子を奏でながら四条寺町の御旅所へ向かうこの「日和神楽」は大変情緒のある行事です。お旅所では、八坂神社の宮司さんから鉾町の町衆と囃子方が御祓いを受け、お囃子を奉納します。御旅所を出た後は、各寄り町(馴染みの商店など)を通って各鉾町帰ります。

前祭の先頭を巡行する長刀鉾だけは16日の夜八坂神社にお祓いとお囃子の奉納に行きます。帰りは祇園の花街を通ります。芸妓さんや舞妓さんが待つ中お茶屋さんや料亭の前で何度も止まってビールなど飲み物の接待を受けます。この時点で日付は変わっています。

print
いま読まれてます

  • お稚児さんの選び方は?京都通しか知らない「祇園祭」完全ガイド
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け