砲火は交えど海軍の義は守る。伊東長官と丁提督、日清武士道物語

 

「日本武士道精神の精華」

黄海の制海権を得た日本軍は、朝鮮半島の付け根から西側に伸びた遼東半島の先端部、旅順口をわずか一日で落とした。北洋艦隊はその対岸に伸びた山東半島の威海衛に逃げ込んだ。

この北洋艦隊の根拠地、威海衛を、伊東はそれまでに2度、訪ねたことがあり、丁とは肝胆照らす仲だった。8年前の明治20(1887)年に、伊東が小艦隊を率いて威海衛を訪問した際に、丁は非常な歓迎をしてくれた。

その後、丁が2度、北洋艦隊とともに日本を訪問した際には、伊東が歓迎した。明治26(1893)年にも、伊東は「松島」以下3艦とともに、威海衛を訪問している。この時も、丁は心を尽くして日本艦隊を歓迎した。伊東と丁の間もうちとけてまるで兄弟のようになって、写真の交換までしたほどであった。

伊東も丁も東洋的武士道の体現者であり、しかも日清それぞれの海軍の育ての親でもあった。言わば、二人の心中は「海の武士道」によって深く結ばれていたのである。伊東はなんとか丁の生命を救いたいと思い、降伏を勧める文書を送った。

謹んで一書を丁提督閣下に呈す。時局の変遷は、不幸にも僕と閣下をして相敵たらしむるに至れり。しかれども今世の戦争は、国と国との戦いなり、一人と一人との反目に非ず。すなわち僕と閣下との友情は、依然として昔日の温を保てり
(『侍たちの海─小説 伊東祐亨』p289)

と、互いの友情を確認した上で、日本が明治維新を通じて近代化に成功したように、清国も近代化が必要であることを説き、丁にしばらく日本でその時節を待ってはどうか、と勧めたのである。その際は、天皇陛下が閣下を厚くもてなすことは僕が誓う、とまで言った。

各国はこの書を「日本武士道精神の精華として、最も鑽仰(さんぎょう)すべきことであり、世界の海軍礼節として、大いに範とすべき快事である」と評した。

丁汝昌は書信を呼んで、深い感動を覚えたらしく、文書を幾度も読み直してから、眼をとじたまま、しばらくは一語も発しなかった。

そして各艦長を呼んで、この書信の内容を説明し、「伊東中将の友誼は感ずるに余りある。しかし、われわれ軍人の胸にあるのは尽忠報国の大義のみである。一死をもって臣たる者の道を全うしようではないか」と語った。その言葉を聞いた諸将はみな感服し、提督と生死をともにすることを誓い合った。

「君国のために、どうぞ一命をなげうって成功して下さい」

やむなく伊東は、水雷艇による港内への夜襲を決心した。2月3日、水雷艇の司令たちを旗艦「松島」に招いて訓示を与えた。

敵の港内に侵入して攻撃することは、水雷艇が出来て以来、世界の戦史に例を見ないことであるから、まさに至難の難事である。死を覚悟すべきは無論である。

 

貴官らにそれを命ずることは、伊東としては辛いことであるが、君国のために、どうぞ一命をなげうって成功して下さい。
(『士魂の提督 伊東祐亨─明治海軍の屋台骨を支えた男』p465)

伊東の人柄をにじませた丁重な訓示であった。司令たちは、顔色ひとつ変えずに答えた。「承知いたしました。われわれは黄海の海戦では、ただ指をくわえて眺めていました。いま死場所を与えて下さったことをありがたく思います

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