砲火は交えど海軍の義は守る。伊東長官と丁提督、日清武士道物語

 

「国難に殉じたその亡骸が粗悪なジャンクに載せられるとは」

その日の夕刻から、清国代表との降伏手続きについての協議が深夜12時まで続いた。あとは明日午後2時に再開と決まって、葡萄酒で労(ねぎら)ううちに、島村速雄参謀が「ところで失礼ですが、丁提督の亡骸(なきがら)はどうなされるおつもりか」と訊ねた。

清国代表はこう答えた。「威海衛構内の艦船はすべて貴国のものですから、提督の柩(ひつぎ)を運ぶ船はありません。いずれ、ほかの死体と一緒にジャンクかなにかに乗せて、芝罘(チーフー、山東半島北部の港湾都市)へ送ることになるでしょう」。ジャンクとは平底の木造帆船である。

翌日2時から再開された協議が大方終わって、一息入れた時、それまで細部の詰めを島村に任せていた伊東が、やおら上体をテーブルの上に乗り出すようにして、「参謀、通訳せよ」と言った。

昨夜代表は、丁提督の柩はジャンクででも運ぶといわれた。しかし丁提督はまことに忠義の士であって、もしも北洋水師が健在ならば、その柩をゆだねられるべきは「定遠」か「鎮遠」でありましょう。

 

それがいかに敗軍の将となったためとはいえ、国難に殉じたその亡骸が粗悪なジャンクに載せられるとは、智・仁・勇を重んずる大和武士のはしくれとして看過いたすには偲びざるものがあります。
(『侍たちの海─小説 伊東祐亨』p308)

話すうちに眼を潤ませ、口ひげを振るわせていた伊東は一気に続けた。

ここにおいて…本官は提案したい。わが方は、貴方所有の運送船のうち「康済号」のみは収容せず、貴方に交付します。ですからこれに丁提督の御遺体と遺品とを乗せ、なお余裕あらば将士も運ぶことにする、と。

宣戦講和・条約締結は天皇の大権に属し、いかに司令官とはいえ、戦利品の一部を勝手に敵国に返還することは許されない。伊東は自分に確かめるように言った。

本官は、おそれながら大御心もかくあらせられると信じております。お咎めがありましたら、本官も丁提督のように一死をもってお詫びいたすだけのこと。

清国代表は肩を震わせて、深く頭を下げた。

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