「三勇士の遺体を手厚く葬るように」
北洋艦隊は、水雷艇の夜襲に気がつくと、サーチライトで狂ったように海面を照らし、機関砲を打ちまくった。水雷艇の一隻は「定遠」に300メートルまで接近し、魚雷を発射して旋回しようとした瞬間に、銃弾を機関に浴びて、白い水蒸気が闇の中に上がった。
「定遠」の兵員は快哉を叫んだが、それと同時に艦底に轟音が轟き、凄まじい震動が伝わった。魚雷が命中した箇所から海水が激流となって入り込み、艦体は傾き始めた。丁は、艦を付近の浅瀬に乗り上げさせて、乗員を退艦させ、「定遠」は打ち捨てられた。
翌朝、銃撃された水雷艇が発見された。なかには日本兵の死体が三体見つかった。いずれも洗濯した下着に、折り目のついた軍服を着て、微笑んでいるような満足な死に顔をしていた。丁は遺体に対してうやうやしく敬礼し、三勇士の遺体を手厚く葬るように命じた。
水雷艇の夜襲攻撃で「定遠」を含め4隻が失われ、北洋艦隊は大きな打撃を受けた。さらに伊東は全艦隊を威海衛湾口に集結させて艦砲射撃を行い、ここに北洋艦隊は戦闘力をほとんど失った。
「深く生霊(生き残った兵員)のために感激す」
2月12日朝、メインマストに白旗を掲げた砲艦「鎮北号」が威海衛から出て、「松島」に近づいてきた。やってきた軍使は、丁からの「乞降書(降伏を乞う書)」をうやうやしく伊東に捧げた。
それには「すべての艦船と港内の砲台を献ずるので、兵員の命を助けて欲しい。承諾いただけるなら、英国司令長官を証人としたい」とあった。
伊東はこれを了承し、しかも丁と諸将を捕虜とはせずに、清国の適当な地まで送り届けること、丁の名誉に信を措くので保証人は不要であることを返書に述べた。
翌日、再び丁からの使者が来て、「深く生霊(生き残った兵員)のために感激す」との返答書を持ってきた。使者はこう伝えた。
提督は昨日私が返書をお届けしますと、伊東閣下の仁慈のお心を知って感泣なさいました。そしてこの返答書をしたためられるや、「いまは思い残すところなし」とおっしゃり、はるか北京の空を拝してから毒杯を呷(あお)って自殺なされたのです。
(『侍たちの海─小説 伊東祐亨』p303)
伊東は息を呑んだ。いま読み終えたばかりの返答書が丁の遺書だったとは。