【書評】あの『週刊文春』編集長がぶっちゃける、文春砲の撃ち方

 

それなのに、新聞、テレビなど多くのメディアは、事件を「人間」ではなく「図式」で見ている。相関図を描いて「こっちが贈賄側、こっちが収賄側」とそこに登場する人物をパズルを解くようにマニュアル的に一人一人当たって取材で潰す。

「週刊文春」の仕事はあくまでファクトの提示で、「みなさん知ってましたか? この人はこんなことをしていますよ」と書いて、そこまでであり、「首を取ること」を目的にしているわけではない。

だが、例えば「週刊文春」がスキャンダルを暴いた舛添要一氏の会見で、テレビ局の人間などが「どうすれば舛添さんは辞めてくれるんですか?」と聞いていたが、あれは傲慢そのものであり、自分で取材して新たな疑惑を突きつけたわけでもなく、ものすごく不愉快だ、と新谷編集長は語る。

元巨人軍の笠原将生選手が野球賭博で逮捕され、2015年に失格処分になった時、多くのメディアが彼にインタビューを依頼し、彼は応じなかったが、「週刊文春」にだけは独占的に語っている。これは、笠原氏がカラオケバーでアルバイトをしていると聞いた「週刊文春」の記者が、客として通いつめ、歌ったり飲んだりしながら、笠原氏とだんだん顔見知りになり、「人と人として仲良くなったからである。

彼と徹夜で麻雀をしたほどの仲になった彼が「実は週刊文春の記者なんです」と告げたところ、かつて野球少年だった記者の熱意も通じ、「ぼくも読売から直接ファンの人に向けてお詫びをする機会をもらえなかったんでしゃべります」と、笠原氏は記者を信用して、同じく失格処分になっていた後輩の松本竜也投手にも告白をするように説得してくれた。そうした取材の中で、高木京介投手の名前も出てきて、巨人軍の渡邊恒雄氏が球団最高顧問を辞任する事態にまで発展していった。

なぜ「週刊文春」の記者がこうして独自の証言を取ることができるのか。それは、事件をマニュアル的に考えなかったからである。事件は「人間」が起こすものであり、図式でもマニュアルでもない。事件の当事者である人間そのものと真正面から向き合い、人間対人間のとことん深い付き合いをして信頼関係を得た上で口説かなければ、本当の情報は取れない。

スクープを獲れるかどうかは、その努力をするかしないかの差である、と、新谷学編集長は述べている。

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