米国住みから見た、「浜ちゃん黒塗り騒動」の違和感

 

まず「笑いとは何か?」という問題ですが、大げさに言うと「哲学的な難しい問題」であるわけです。そこで、古今東西の哲学者や思想家が言っていることを総合しますと、「硬直すべきものが弛緩していると笑いになる」「弛緩しているべきものが硬直化していると笑いになる」「些細なものが誇張されると笑位になる」「大げさなものがサラッと無視されると笑いになる」というような説明がされています。

こうした例を総合してまとめてみると、「異化効果」つまり「本来AであるべきものがBになることで、AとBの差異が非日常性を生みそのズレの感覚に笑いを感じる」というメカニズムが働いているということができそうです。

この仮説に基づいて以下のようなことが言えると思います。

まずアメリカでは政治風刺というのが今でも盛んです。例えば、一昨年の大統領選登場以来、ドナルド・トランプというキャラクターは、NBC『サタデーナイトライブ(SNL)』でアレック・ボールドウィンが演じているように、徹底的にお笑いの対象となっているわけです。

では、アメリカではこのように政治家への風刺が当たり前なのに、どうして日本ではお笑いとして通用しないのでしょうか? 例えば日本のお笑い番組で、安倍首相のソックリさんが出て来て、安倍首相の言い間違いや狼狽するシーンを演じたらどうでしょう?

それは、ちっとも面白くないということになりそうです。では、アメリカには「政治家を風刺の対象とするような成熟した文化」があるが、日本というのは「政治家を笑うことのできない幼稚な文化」なのでしょうか?

全く違うと思います。

何故、トランプ大統領についてモノマネという手法で風刺することが可能なのかというと、アメリカの場合「大統領は賢くて立派でなくてはならない」という極めて保守的な思想が広範に共有されているからです。

まずこの共有感覚がベースにあって、その上でトランプという逸脱があり、アレック・ボールドウィンはその逸脱を誇張することで、二重の異化効果を発揮することができているわけです。

これに対して、日本で安倍首相への風刺がお笑いにならないのは、そもそも政治家というのは知的ではないクリーンでもない」ということが一般的に強く共有されてしまっているからです。

ですから、安倍総理が例えば「モリカケ問題」を追及されてウロウロしている場面を、それこそダウンタウンなどがモノマネをしても、「異化効果」つまり、何かが「あるべきもの」から逸脱していて、その「ズレ」や「誇張」が笑いを生むということは全くないわけです。そこを無理にやってしまうと、「ちっとも面白くない」のです。

そこで「面白くない」理由は、左派だから機械的に「安倍批判」をしているのだろう、だから気に入らないというような政治的なものではなく、とにかく「あるべきものからの逸脱ズレという現象が起きていないので、全く笑いにならないのです。

では、今回の「アフリカ系を模した黒塗り騒動」はどう考えたら良いのでしょうか?

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