役所も企業も、その組織のルールに則って仕事を遂行している。
役所の場合、民主主義のルールに則って、遵法の精神を基本に業務をすることが求められ、企業の場合は企業の社会での役割を認識しつつ利益を追求するために効果的な業務を行っていく。
どちらも人間のやることだから、結果に向けてAというプロセスとBというプロセスがある場合、上部からの命令で自分の選択肢とは違うプロセスに従事しなければならない時がある。
それは、ストレスであるのだが、乗り越えるのは、説明責任などのコミュニケーションである。
「Aを選ぶ君の考えは正しい。しかし今回は試行のためにBをやってみないか」と上部から説明があれば、意見も尊重され、多くの方は納得できるだろう。
しかし、遵法が基本の役人が書き換えを指示されたら、それは役人としてのプライドとして自分を成り立たせることが出来るであろうか。
遵法ではない力学が働く中で従事させられる仕事は、もはや自分はいらない、ということになる。
これが今の財務省の体質であり、その結果として自殺があるように思われてならない。
文書改ざんが1年以上も表面化しなかったのは財務省の鉄壁さだ。
加計学園問題は文部科学省内、陸上自衛隊日報問題は防衛省内からリークがあったとされる。
結局、この鉄壁の誤謬を許さない体質が、「政治の力」に結び付くと、白いものも黒と言ってしまう体質でもあるのだ。
今回の自殺者は、その体質の犠牲者といえよう。
中央官庁は、国民に目を向けた仕事をするのは当然だが、そこで働く役人のひとり一人も大切にしてほしい。
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