リストラ技術者を大量採用し大成功。アイリスオーヤマ変貌の秘密

 

便利一筋で年商4000億円~「危機をチャンスに」の歴史

宮城にあるアイリスの工場にとんでもない長さの行列が。開場と同時に猛ダッシュ。そこでは日用品から家電まで、様々なアイリス製品が驚きの安さで売られていた。これは年に1度開かれる地元への還元イベントアイリス祭」。「地域に対する気持ちがなければ開催できません」という大山の宮城への思いが込められている。

宮城を地盤に成長を遂げたアイリスだが、産声を上げたのは1958年大阪。大山ブロー工業所は大山の父・森佑が経営する下請け工場だった。得意としたのは、今も広く行なわれているプラスチック製品のブロー成形。溶かしたプラスチックを金型ではさみ、中に空気を送り込むことで空洞にし、容器を作る技術だ。

しかし、父はガンを患い若くして亡くなる。そして19歳の大山が、代表を任されることになった。

大山はこのピンチに、攻めに打って出る。目指したのは、価格さえも言いなりだった下請け業からの脱却。そしてある自社製品を開発する。

それは海で養殖などに使う浮き」。当時、真珠養殖の現場で、割れやすいガラス玉の浮きが悩みの種だと聞きつけたのだ。

「ブロー成形で、中を空気で膨らませた。台風がきても壊れることがない。これを問屋さんに卸さず、全国の漁協にサンプルを送って、直接取引させていただきました」(大山)

これが当たると、今度は農業に目をつける。田植えに使う重い木製の苗箱を、軽いプラスチック製で売り出し、またヒットを飛ばす

「売り上げが倍々に増えていきました。それで26歳の時に宮城県に工場を造ることになったんです」(大山)

ところが、成功した大山に再び危機が訪れる。1973年のオイルショックだ。工場は在庫で溢れかえり、一気に倒産の危機に。大山は大勢の社員の解雇を余儀なくされた。

「このままでは倒産するということでリストラせざるを得ない。自責の念が非常に強かったですね」(大山)

そして大阪の工場を閉じ、身を寄せたのが宮城県につくった工場だったのだ。

だが大山は、この絶体絶命のピンチにも、攻めに出た。大山は国内140万社の企業データを集め、今、売れている商品は何か、調査を始める。するとある日、ある地方のプラスチックの会社の業績の伸びに目が止まった。

その会社が伸ばしていたのは園芸向けの商品。当時、割れやすい素焼きだった植木鉢をプラスチックで作り人気を呼んでいた。「自分たちの技術を使えばもっといい製品が作れる」と思った大山は、美しくて丈夫なプラスチックのプランターを開発、その後の園芸ブームを掴んだ。これを機に、アイリスはホームセンター向け商品に参入。さらに特大のヒッを飛ばす。それが透明の収納ボックスだ。

だが、しばらくして大山が売り場を覗くと、店には類似品が溢れかえり、アイリスの商品が全く売れなくなっていた

そしてピンチのたびに新分野を切り開いてきた大山に、最大のヒットが生まれる。便利な収納・HGチェストだ。誰もが驚くのが軽い引き出し。その秘密は、業界で初めて採用した金属製のレールにあった。さらにインテリアとしての見栄えにもこだわり、天板は木製で作り込んだ。大山は、今までにない素材を使い、洋風の部屋にピッタリの新たな収納を生み出したのだ。

ピンチにあっても、今までにない便利さを果敢に追求し続け、アイリスオーヤマは勝ち残ってきた。

成功すると、人間誰でもそれに安住するんです。あぐらをかくんです。我々の開発者はヒットが出ても、常に次のヒットを作ることに明け暮れている。世の中に不満はいっぱいあるんです。皆さん気がついていないだけで」(大山)

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