上品、気配り、スピード感。主婦はいかにして会社を立て直したか

shima20181226
 

約30年余りの会社経営人生。仕事はただダイレクトメールを読むだけだったという78歳の女性経営者は、いかにして窮地の会社を立て直したのでしょうか。今回の無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』では著者の嶌さんが、慎み深くも猛勉強で会社を発展させた女性社長の人生を紹介しています。

40歳の主婦から女性社長になって30年 インドネシアに子会社も設立

11月上旬に78歳の女性経営者の話を聞いた。社長だった養父(叔父)の急逝で、40歳にして突如主婦から社長に就任し、多くの苦労の末、インドネシアに子会社を設立するなど国際化にも挑戦。従業員は80人ほどで、現在は国内に2工場、海外で1工場を長女と長男に任せ、自らは会長としてサポート役に徹している。現代は政府が“女性活躍時代”と声をあげるが、実際に女性が国際的な分野まで手を広げ、モノづくりの経営に携わって成功するケースは少ない。小松ばね工業の小松節子さん78どのように女性社長としてこの30年を乗り越えてきたか、紹介したい。

40歳でいきなり女性社長に

小松ばね工業は1941年に小松謙一氏がゼンマイ、板ばね、線ばねの設計製作などをはじめるため創業した企業だった。戦後はカメラ、時計関係、自動車部品、電気機器などの分野に進出しメーカー各社に販売していた。

ところが1980年に小松社長が急逝し、株を大量に譲られていた節子さんが社長に就任することになった。しかし節子さんは、それまで主婦業をしていただけで会社経営の知識はほとんどゼロ。趣味は小学校時代から続けていたバレエで、当時は約50人を抱えるバレエ教室の先生だった。

先代社長が亡くなった後、節子さんの夫が社長となったが古参幹部から辞任を迫られ、大株主だった節子さんが社長に祭りあげられた。しかし古参幹部らの狙いは、節子社長を“名ばかり社長に祭りあげて会社の実権を握ることだった。このため、社長に就任しても数年間は実質的な社長役はさせてもらえなかったという。しかし社内は内紛で業績が低迷。工場は散らかり放題で機材も汚れる一方だった。

当時は“名ばかり”社長

会社へ行っても、節子さんはやることがなく送られてくるダイレクトメールを読むだけだった。そのうち古参幹部たちは節子社長が音をあげ社長職を放り出すことを待っていることに気づき、とにかくダイレクトメールの中から良さそうな社長業を講義する経営セミナーに参加することにした。行ってみると200人位の社長が熱心に真剣に話を聞いている姿に圧倒され、社長によっては10年、20年と月1回のセミナーに参加していることを知り、自分も真面目に取り組むことを決心したという。

print
いま読まれてます

  • 上品、気配り、スピード感。主婦はいかにして会社を立て直したか
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け