いいものは、いい。日本文化に影響与えた「琳派」を京都に訪ねる

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京都と言えば神社仏閣ですが、絵画や彫刻など古美術に焦点を当て観光するのも素敵なものです。 今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者で京都通の英学(はなぶさ がく)さんが、長きに亘り紡がれてきた日本絵画における流派「琳派」の成長の歴史から作品の特徴、さらにゆかりの観光名所までを紹介しています。

琳派の独自性とその魅力

江戸時代から現代に至るまでの間、琳派は日本の絵画陶芸などをはじめあらゆる画材に影響を与えてきました。

江戸時代までは日本の絵画には大きく分けて日本画と漢画の2つの流れがありました。日本画は土佐派が、漢画は狩野派がそれぞれの画風を代表する流派に発展していきました。主に江戸時代以降、琳派はその2つの流派を融合させ広く日本人の心に響く画風となっていきました。そして日本人の審美眼にも多大な影響を与え、現在も広く受け入れられ、称賛される美を確立しました。

今回は琳派固有の特徴と、誕生から発展への過程やその魅力に迫ります。そして最後に京都における琳派ゆかりの観光名所をご紹介します。

琳派誕生とその時代

今から4年前、2015年は日本中で琳派が注目を浴びました。国宝「舟橋蒔絵硯箱」や「不二山」の作者としても有名な本阿弥光悦が徳川家康から洛北・鷹峯の地を与えられ芸術村を開いたのが1615年と伝わります。2015年はそれから400年目の年だったので京都を始め各地で琳派展などが開催されていました。

琳派は安土桃山時代後期から江戸時代初期に本阿弥光悦と俵屋宗達が残した作品の表現手法を用いる芸術家たちの流派です。この時代はまさに天下人が信長、秀吉、家康特徴目まぐるしく移り変わる戦国から天下泰平への移行期でした。琳派の祖・本阿弥光悦や俵屋宗達が生きた時代はまさに3人の天下人が生きた時代です。

当時は狩野派が御用絵師として安土城や大坂城、伏見城や二条城といった天下人の住む城の襖絵や有力寺院の障壁画を一手に引き受け活躍する時代です。狩野派は師から弟子へと代々引き継がれる流派で、その画風は子々孫々粉本(ふんぽん)」で伝わり中国の絵画漢画を元にし統一感が強いのが特徴です。

琳派は江戸時代中期以降、尾形光琳・乾山兄弟によってさらに発展を遂げ、その後さらに酒井抱一(ほういつ)・鈴木其一(きいつ)などがその流れを受け継ぎました。おもしろいことに、琳派は家系や師弟関係などによって受け継がれたものではありません。琳派は時代を超えて模倣によってのみ受け継がれてきたのです。これこそが琳派の最も興味深い特徴です。宗達画を光琳が模写し、抱一が光琳の画風を模写するといった具合です。

しかも俵屋宗達尾形光琳酒井抱一の3人はそれぞれが生きた時代に100年近い開きがあり血のつながりもなければ互いに面識もありません。このように直接教えを受けたわけではないものの、著作を模倣することによって傾倒し、師と仰ぐ私淑(ししゅく)が大きな特徴です。琳派は後世に才能を開花させた芸術家がただその芸術的手法や技法を学びたいという想いだけで結ばれているのです。

大和絵と漢画

日本の絵画の歴史を遡ると大きく2つの流れがあります。大和絵日本画と漢画中国から伝えられたもの)です。

大和絵は平安時代の院政期に生まれた日本独自の様式で、源氏物語絵巻など平安絵巻に描かれたものです。一方、漢画は鎌倉時代以降流行るようになりました。臨済宗が中国から伝わり禅仏教が広まると、禅僧たちが中国へ渡り水墨画などを持ち帰るようになったからです。この二つの流れを二分したのが土佐派と狩野派です。

土佐派と狩野派

土佐派は大和絵を代表する画風で王朝絵巻の様式を取り入れ人物は引き目鉤鼻かぎばなで描かれるのが特徴で、画題は主に「源氏物語」や「伊勢物語」などの平安時代の国風文学です。このような作品は主に皇室や公家に好まれ、彼らによって庇護されていました。

一方で狩野派は水墨画が元になっています水墨画に色彩を加え金箔などを貼った屏風が有名です。画題は「琴棋書画図(きんきしょがず)」や「四季花鳥図」など中国由来のものが多く、豪快な画風は下剋上で成り上がる戦国武将の生き様に重なるものがあり、主に武家(将軍や戦国大名)に好まれました。

土佐派や狩野派は代々その技法を受け継ぐ方法として絵手本があり組織的に弟子の育成もしていました。彼らは一人一人の個性や創造性を表に出す事は許されず、同じような画風の作品を作り続けるという点では絵師というよりは職人のような仕事だったようです。

当主は土佐派であれば、朝廷や公家の「絵所預(えどころあずかり)」となり皇室に仕え、狩野派は将軍家や有力大名に召し使えられ「御用絵師」として活躍しました。このように土佐派と狩野派ははっきりと活躍する舞台が分かれていて別々の役割をそれぞれ果たしていました。

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