「柿食へば 鐘が鳴るなり 東大寺」だったかも知れない、という説があるのをご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『1日1粒!『幸せのタネ』』では著者の須田将昭さんが、秋の気配を見事に表したこの名句の「異説」と作者の正岡子規について紹介しています。
柿食へば…
柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺
(正岡子規)
上にご紹介した「柿食へば」の俳句は、おそらく知らない人はいないだろうと思われるぐらいに有名な俳句ですね。おそらく正岡子規の俳句の中でももっとも有名な句でしょうし、ひょっとしたらいろんな俳句の中でも3本の指に入るぐらいに有名なものかもしれません。
それぐらいに知られたこの俳句ですが、どうでしょう、あらためて声に出してみると…、なんとも秋の気配をしみじみと感じる良い句だなあと感じます。
正岡子規はどこで柿を食べていたのでしょう。法隆寺の近くの茶店でしょうか。そこで好物の柿を喜んで食べている正岡子規。秋を感じているところに鐘が鳴った。法隆寺の鐘が鳴った。
そういう句でしょう。
そしてこの俳句を詠んだ日が1895年10月26日だ、ということから、この日が「柿の日」として記念日になっているそうです。
ただ、私が大学時代に受講していた正岡子規に関する授業では、この時期に子規が奈良を旅行していたのは間違いないようですが、法隆寺ではなく東大寺ではないか?などの疑義はあるようだということも聞いております。
1895年というのは、日清戦争の翌年です。子規は、日清戦争の連隊付き記者として従軍しています。その時の劣悪な環境の中で喀血をします。帰国後、しばらく生まれ故郷の松山で療養し、その後病状が良くなってから帰京します。その道すがら、奈良にも立ち寄ったようです。
学生時代に授業を受けた先生は、こよなく正岡子規を愛されていて、この日清戦争の時の喀血、そしてその時にきちんと面倒を見てもらえなかったことが死期を早めたと見て、非常に悲しんでおられたのを今でも覚えています(もう30年も前の授業です)。私も時々メルマガで正岡子規のことをご紹介しますが、この時に受けた先生の講義の印象が強くあるのは間違いありません。一生心に残る授業を受けられたことはやはり大きな喜びですね。
閑話休題。
この季節、柿が美味しい時期です。関西では和歌山や奈良が柿の産地です。食べすぎると体を冷やしてしまいますが、美味しくてついつい食べてしまいますね。
image by: Shutterstock.com