DV法のさじ加減
新型コロナ感染症の問題で、DV(ドメスティックバイオレンス)についての相談は急増しているところではある。
多くの事案を経験していると、被害を受けた本人が助けを求めない限り、事実上、救うことはできないという側面がある。過去、私は助けを求めてきた被害者を救おうとしたが、被害者が加害者に説得されてしまい、中途でハシゴを外されて宙ぶらりんにされたことがある。それだけ、加害者の支配は被害者に強く影響するのだ。
蓋然性(ある物事や事象が実現するか否か、または知識が確実かどうかの度合い)として、これは異常ではないかと思われることであっても、今のところ、大怪我をして病院に担ぎ込まれるとか、不審死などしていないと問題化できないと言える。本件において、被害の当事者であるAさんが助けを求めないことには何も始まらないという側面があるのだ。
しかし、これまで起きていた事のように、日常でトイレの制限をされたり、行動の自由が許されない中、半ば軟禁状態で部屋に留まらせられることが正常とは考えづらいだろう。
仮に蓋然性が一定の基準をもって認められるようになれば、異常なマインドコントロールがあった後で、支配されている状況下であっても救い出す希望が持てるのではないかと思う。
しかし、多様な形を受容していく社会において、蓋然性の判断が曖昧であったり、属人的であれば、誤った処分も起きてしまう可能性がある。
本件についてご相談いただいたご夫婦は、あらゆる専門家、活動団体へ相談し、なんとかAさんを救うことができないか動いているが、具体的に動いてくれているのは弁護士だけ、ということであった。
そして、やはり、一般的に見て異常と感じる状態であっても、 本人がコントロールされている状況下では有効打は出せないでいる現実 があるのだ。
首都圏は1月8日から緊急事態宣言下にある。テレワークなどの影響があるのか、DVの相談は増えていると聞くし、私のところにも事実として相談は増えている。
DV法は、無かった時よりはよっぽどマシになっていても、現実としての運用には問題点を感じている被害者も多くいるようだ。
蓋然性を含め、真実の被害者が救われるようになる世の中を望みたいものである。
編集後記
これまで、多くの被害者やその関係者がDV法についての改正を望んできました。
執行に当たる現場の人たちも、不平不満を口にすることはなくとも、できることの線引きに苦悩しています。
事件や問題は時代とともに変容していきます。そうした中で、必要なことは何が起きているのかを知り、問題によって多くの被害者が出る前に対策を講じていくことです。
それには、法改正も必要ならば踏み込むべきだと思いますが、なんとも煮え切らない点は否めません。
難しいところもあるとは思いますが、立法側にはよく動いてもらいたいと思うところです。
我々が被害者の真の声として、証拠や情報をいくら集めても、無駄な涙と変わってしまうことは何ともむなしいです。
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