リモート学習でつい忘れがちな「相手の小さな変化」に対する気配り

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生きづらさを抱えた人たちにとって不可欠な支援の現場も、コロナ禍によって変化を余儀なくされています。その一つに急速に進むリモート化があり、要支援者への学びの場を提供する「みんなの大学校」を運営する引地達也さんも試行錯誤の真っ只中にいるようです。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』では、リモート学習だからこそより大切にしなければならない「小さな変化」への気配りについて、船と飛行機、スピード・効率重視の中での「道端の花」などの喩えを用いて綴っています。

船と飛行機の違いと道端の花を考えるB型事業所

外資系の船舶会社で働く兄と久々に食事をし、コロナ禍にあって需要が落ちない船舶業界は古代社会から文明を支える仕事であることを教えられた。

あるところから、ないところにモノを運ぶ労力を地球の多くを覆う水と風を使って動かすことは、自然の力でもあるし、人間が生み出すスピードとしては、それは掌握可能な範囲内で、潜水艦は別として、甲板で風を感じながら、そこに立っていられるのはまだ人間が共存できるスピードなのだと解釈した。

飛行機となると自分たちが密閉されなければ空を飛ぶことはできないから、人間が耐えうるのは、熱気球やパラグライダーぐらいのもので、空には強い生き物ではない。この違いから考えてしまうのは、密閉することで、人間を超えた力やスピードを実現している日常は、それ自体無理があるという再認識を促しているように思えてくる。これも新型コロナウイルスで気づく、私たちの「当たり前」の異常なのかもしれない。

船のスピードとは言ったが、もはや光の速さで情報を伝達し、ズーム会議など瞬時に映像とともに今の自分を伝えられる便利さは、私たちの日常になった。この日常を甘受しながら、注意深く人とのつながりを大切にしようという意志が、より「意志的」に求められているのだと思う。

コロナ禍で始まったピアノコーラスデュオのサームとの「ツイキャス」でのライブ配信「ケアステージ・オン・ウエブ」は、最新の情報伝達手段を使いながら、それをミクロなつながりを重視できないかの試みで、3月末の配信で1年となった。

道具を使う自分たちが人とどのようにつながり、どのような関係性を持ち、その結果、自分自身と社会全体にどのような貢献(contribute)が出来るか、への挑戦である。まずは「つながり」を優先して始まった試みであるが、この「つながる」意志の有無が、現在のコロナ禍の社会の「つながり」を作っているのを感じている。その「つながり」にも効率化が優先されそうな勢いではあるが、それを船のスピードまで戻せないか、見落としたものに目を向けられないか、と心を配りたいと思う。

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