ツッコミどころばかり。立憲・枝野幸男代表『枝野ビジョン』に抱く違和感

takano20210525
 

先日、立憲民主党代表の枝野幸男氏が上梓した『枝野ビジョン 支え合う日本』が、真正面から政治のあるべき姿を論じた一冊として話題となっています。しかし、そこに著されている主張が分かりづらいと評するのは、ジャーナリストの高野孟さん。高野さんは今回、自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』にその理由を記すとともに、枝野氏による「保守」と「リベラル」の定義付けに異を唱えています。

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※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2021年5月24日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

「リベラル」な日本を「保守」する?――枝野幸男『枝野ビジョン』への違和感

枝野幸男=立憲民主党代表が20日、『枝野ビジョン 支え合う日本』(文春新書)を発刊した。今の日本の与野党の代表で、それなりにまとまった国家・社会のビジョンを自力で書き上げて世に問うことができるだけの力量を持つ者は皆無で(共産党の志位和夫委員長は別だが彼は党機関の了解なしに個人として発言することはない!)、この快挙を成し遂げたこと自体を高く評価したい。

しかし中身に分け入ると、議論の余地があるところが盛り沢山。それで今回は、第1章「『リベラル』な日本を『保守』する」についてだけ感想を述べることにする。そして、次号以降で第11章「地に足の着いた外交・安全保障」について吟味したい

枝野の言い方は分かりにくい

枝野は第1章「『リベラル』な日本を『保守』する」の冒頭で、こう言う。

▼私は3年半前の旧立憲民主党結党の際、「自分は保守であり、リベラルである」と訴え、「立憲民主党こそ保守本流の政党だ」と繰り返した。このことは、一部の方々から「分かりにくい」と批判を受けた。その一方で、立憲民主党に対しては、「リベラル=左派=反権力」的な、意味不明なレッテルを貼られ続けている。

▼自民党は「保守政党」と呼ばれる。ゆえに「保守」を自任する今の日本は大転換期であり、急激な変化を望まない国民の間に「保守」的心情が高まることは、一定の合理性がある。

▼しかし同時に、特に第2次安倍政権発足以降の自民党的「保守」のありようには、違和感を覚えている国民も多い。本来の「保守」とはかけ離れた姿勢が、次々と明らかになっているからだ。

▼自民党は本当に「保守」と呼べるのか。「保守」の本質をしっかりと認識し、分析した上で、現在の自民党の歪んだ「保守」を脱却し、真の「保守」の姿を取り戻すべきではないのか。

▼そしてそれは、「リベラル」と称される私たち立憲民主党の政治姿勢と、実は極めて近いというが、私の基本認識である……。

確かに、これは「分かりにくい」。枝野がこういう言い方をする企図は、一方では「リベラル=左派」という決めつけから身を躱(かわ)し、他方では安倍=自民党がますます保守本流路線から外れて「右派」ないし「保守反動」へと傾いていることを批判し、健全なる保守支持層に揺さぶりをかけようとするところにあるらしいことは、理解できなくはない。

しかし、自分を「保守リベラル」と定義しながら、自民党に対して「真の保守」の姿を取り戻せと呼びかけ、その両者は「実は極めて近い」と言ってしまったのでは、自民党が本当に保守本流路線に立ち戻った時には立憲民主党はその存在意義を失って消滅するか、もしくは自民党に合流するかしなければならないことになる。これでは、政権交代のある政治風土を耕す「政治改革」を続行するための座標軸は形成され得ない。

自民党はどこまで行っても反動、右翼から穏健リベラルや護憲派までをも包摂する「保守」であり、それに対抗するのは立憲民主党など「リベラル」と共産党など「左翼」の連携であって、それでこそ日本政治を突き動かして行くダイナミズムが生じる。

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