プーチンを激怒させた「ウクライナ侵略の引き金」NATOの生い立ち

 

ワルシャワ条約機構

NATOに対し、東側陣営はワルシャワ条約機構を結成し、対抗。ワルシャワ条約機構は、1955年にワルシャワ条約に基づきソビエトを中心とする東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟。

ポーランドの首都ワルシャワで設立されたため、その名が付いた。だが、本部はモスクワに位置する。

正式名称は、「友好協力相互援助条約機構」。この同盟の目的は第一にNATOへの対抗であることは間違いない。

当時、米国とソ連との間では軍拡が盛ん。核ミサイルを、米国はトルコに、ソ連はキューバに設置、互いの国土に照準を向けていた。そのため、均衡を保つため、東側陣営はワルシャワ条約機構を作り上げる。

NATOが冷戦期、実戦を経験してこなかったのに対し、ワルシャワ条約機構は「集団的自衛権の行使」を理由に、ハンガリー動乱やプラハの春に軍事介入した。

加盟国は、ソ連・ポーランド・東ドイツ・チェコスロバキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニアの8カ国。ただ、東欧に位置するユーゴスラビアは独自路線を取り、参加しなかった。

1968年には、チェコ事件においてアルバニアがソ連に反発、脱退する。

ワルシャワ条約機構は、明確に西ドイツやNATOを仮想敵国として明示。条約の前文に、

「再軍国化した西ドイツの参加した『西ヨーロッパ連合』の形における新たな軍事的共同戦線の結成、および北大西洋ブロックへの西ドイツの加盟を規定し、その結果、新戦争への危機が高まり、かつ平和愛好国の安全に対する脅威が醸成されたパリ協定の批准によってヨーロッパに生起した情勢を考慮し…」

とする。

ただ、1985年に誕生したソ連のゴルバチョフのもとでペレストロイカ(改革)が進み、1989年の東欧革命により東ヨーロッパ諸国が社会主義から離脱、米ソ両首脳による冷戦の終結宣言を受け、1991年7月にワルシャワ条約機構は解散、直後、ソ連も解体にいたった。

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