ウソ、隠蔽、そして恫喝。秀岳館サッカー部暴力事件で判る現場の異常な腐敗ぶり

 

歪んだ小社会では正義は為されない

組織内では当然の正義が大きな社会では不正義であることはよくあることだ。

このサッカー部では、コーチが指導名目で暴力を振るうことは当然の指導とされていたのではなかろうか?だからこそ、生徒間でも先輩が後輩に指導名目で、暴力行為や強要行為に及んでも、単なる「シゴキ」で済まされていたはずだ。でなければ、急遽行ったアンケートで、38件もの暴力行為が明るみなることはない。

指導もシゴキも、これが当然に行われている社会では、自分達は特殊社会で、世間一般ではダメだということを認識している場合が多い。世間に知れれば、当然、大騒ぎになり、自分達は叩かれる存在になると知っているからこそ、その隠蔽にぶざまなまでに力を注ぐのだ。

それはまるで強制収用やら深刻な人権侵害や犯罪行為が行われている地域や国に海外メディアや中立の記者らすらもが入れない独裁主義者がやるそのものに似ていて、幼稚なのだ。なぜなら、この例ではメディアが入れないこと自体で、この独裁者らが言う事は嘘確定だからだ。

段原監督が行った隠ぺいのため、さらには世間を欺くための行為は幼稚であり、結果として露見したが、音声が公開されていなければ、作られたサッカー部の生徒らが、不自然に、自主的に謝ったという動画が世論に影響を与えて収束させられていたかもしれない。

仮にこれが学校内だけの露見であれば、監督らはコーチも含め、糾弾されることもなく、これがサッカー部なんだと逃げ遂せただろう。

しかし、SNS社会(大きな世界)で露見したわけだから、もう逃げることはできない。

スポーツ庁は出動すべき

そもそも部活動は、学校教育の一環である。もちろん、スポーツによっては勝敗が分かれるものがあり、その競争が注目されるところもあるが、公式な意義は「体力や技能の向上」「人間関係の構築」など生徒の多様な学びの場としての教育的意義があるとされる。

つまり、あまりに勝敗にこだわり過ぎて、その偏重があってはならないと解釈できるはずだ。

柔道では小学生の大会が、その勝負に偏った事態が頻発したことから中止となったのは記憶に新しいところだ。小学生では部活動とは言えないが、教育機関として行うスポーツなどは、勝負よりもそのスポーツなどを好きになって卒業した後でも、健康のためであったり余暇を楽しむためであったりで、身体を動かしたり、そうしたスポーツを通じて交友関係をもつなど、人生を豊かにする一環として位置づけられているはずだ。

しかし、やはり勝負に偏る部活動は確かにあるはずだし、そこで熟成され続いてしまった悪しき慣習は内部から正すことは難しいだろう。

権限の問題があり、主導して行うには一定のルールも必要であろうが、ぜひともスポーツ庁や文化庁には、全国的な調査を実施するのみならず、偏った部活動は、大会出場停止も視野に入れて、本来あるべき教育の姿に戻す実行力を示してもらいたいところだ。

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