戦況が一進一退の状況を繰り返し、戦争の長期化が予想される中、欧米諸国はウクライナへの軍事的な支援のレベルを上げ、一気にケリをつけてしまおうと見せることで、政府に向かう国民からの非難の矛先をかわそうとしているように見えます。
ウクライナの戦力の充実度の裏で、じわじわと【ウクライナへのシンパシー】の度合いも変わってきているようです。
最近のゼレンスキー大統領の諸国への発言や要求、クレバ外相の【NATOはまだまだ何もしてくれない】という発言などにおいて目立ってくるのが、要求内容のエスカレーション傾向です。
行動心理学における“もっと、もっと”の特徴でもあるのですが、支援を提供しているのに非難ばかりされる状況に直面し、同時に国民からの不満の増大との挟み撃ちの状況に、欧米諸国政府のイライラ度合いが増しているという情報が寄せられています。
「ロシアをこの際叩かないといけない」
「力による強引な現状変更の試みを許してはならない」
そう感じる半面、高まる一方のウクライナからの要求にたいしての不快感も増大しているという状況が目立つようになってきました。
そしてそこに追い打ちをかけ、各国のリーダーたちが首を傾げだしたのが、ウクライナがロシアに突き付ける【停戦交渉のための条件集】の内容です。
「2月24日以前の状態まで戻るまで、交渉のテーブルにはつかない」
一見、当然にも感じる条件なのですが、一進一退を続ける戦況を考えてみると、かなり強気な要求・条件に感じます。
マリウポリを失い(いずれ奪還すると言っているが)、ドンバス地方で反撃を試みるもまだロシアが優勢であることに変わりなく、また“善戦”と言われるのも、ウクライナの兵士および国民の奮闘はあるものの、欧米からの武器・弾薬・資金の供与があってのこと。
それも、日本も含む国々の血税を投入してもらった上での善戦であり、ウクライナ政府およびゼレンスキー大統領が威張ることでもないはず。
そして支援しても、返ってくるのは、さらなる要求と「まだまだ全然足りない。このままだとウクライナ、そして民主主義はロシアの悪の手に堕ちる」という、
欧米諸国が断りづらい痛点を突いてくる。
ゼレンスキー大統領の話術、プレゼンテーション能力を絶賛する風潮が報道で目立つ中、欧米諸国の政府は徐々に“違和感”が“確信”に変わり始めているようです。
その“確信”の内容は何でしょうか?
代表的な声の内容は
「今回の件でプーチン大統領が悪く責められるべきなのは確実だとしても、そもそも過去8年にわたり、何も効果的なことが出来ず、このような惨状を招いたことについては、どのように考えるのか?」
「支援を受けておいて、非難するとはどういうことなのだろうか?」
「我々が供与した武器弾薬が行方不明になっているが、どのような説明をするつもりだろうか?」
「気持ちは分からなくもないが、ウクライナによるロシア軍捕虜への蛮行・虐待、そして殺害について、我々がこれ以上目をつぶっていることは適切と言えるだろうか?」
などいろいろな疑問や違和感を示しています。
私にとっては、かつての旧ユーゴスラビア・ボスニアヘルツェゴビナでの惨憺たる状況を前に、欧米諸国、特に英国の情報・メディアキャンペーンでクロアチアを悲劇のヒロインに仕立て上げ、ミロシェビッチ大統領率いるセルビア共和国を“悪”に仕立て上げた状況を思い出してしまいます。
ミロシェビッチ大統領およびその仲間たちが行った蛮行は決して肯定することはできませんが、クロアチア政府がセルビア人に対して行った数々の残虐行為は、見事に覆い隠されたことについては、大きな違和感を今でも抱いています。
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