ヒトラーと日本は「メンター」の言うことを聞かずに戦争で負けた

BERLIN, GERMANY - OCT 1, 2017: Adolf Hitler, the leader of the Nazi Party who initiated World War II in Europe, Madame Tussauds  Berlin wax museum.BERLIN, GERMANY - OCT 1, 2017: Adolf Hitler, the leader of the Nazi Party who initiated World War II in Europe, Madame Tussauds Berlin wax museum.
 

ロシアのプーチン大統領のメンターであるドゥーギン氏のように、実はあのヒトラーにもメンターがいたと言われています。その人物がどのような人だったのか、今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では著者で国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが詳しく紹介しています。

ヒトラーのメンター1~メンターの正しかった大戦略観

プーチンには、アレクサンドル・ドゥーギンというメンターがいます。8月、娘のダリヤ・ドゥーギナが爆殺されたことで、世界的に有名になりました。そんなドゥーギンですが、最近は弱気なプーチンにイラついているようです。時事11月14日。

ドゥーギン氏は10日、通信アプリでヘルソン市撤退について「ロシアの州都の一つ」を明け渡したと指摘し、完全な権力を与えられた独裁者は、国民や国家を守るものだと強調。失敗時には、英人類学者フレイザーの古典「金枝篇」中の「雨の王」の運命をたどるとした。干ばつ時に雨を降らせられない支配者が殺されるとの内容を指しているとみられる。

要するにドゥーギンは、「プーチンがロシアの領土を守れなければ殺される」と発言している。ドゥーギンは、ヘルソン市を「ロシアの州都の一つ」としています。つまり彼は、ロシアが最近「併合した」と主張しているドネツク州、ルガンスク州、ザポリージャ州、ヘルソン州をウクライナが奪還しても、「王は殺される」と見ている。プーチン政権、末期ですね。

今回は、ドゥーギンの話がメインではありません。独裁者プーチンには、ドゥーギンがいる。独裁者ヒトラーにもメンターがいました。ドイツの地政学者カール・ハウスホーファーです。

ヒトラーのメンターはどんな人?

カール・ハウスホーファーは1869年、ミュンヘンで生まれました(明治維新の翌年)。ドイツ帝国陸軍大学を卒業。1896年、ユダヤ人女性マルタ・マイヤー・ドスと結婚(27歳)。1903年から、帝国陸軍大学で、軍事史を教えました。1908年~1910年、駐日ドイツ大使館付武官として、日本に滞在(39~41歳)。第一次大戦時、西部戦線に従軍し、少将に昇進(ですが、戦争には負けました)。第一次大戦後の1921年、ミュンヘン大学の地理学教授になります(52歳)。

1919年、ハウスホーファーは、後にナチス党の副総統になるルドルフ・ヘスと知り合います。1921年には、後の独裁者ヒトラーと知り合っています。ヒトラーは、ハウスホーファーの「生存圏理論」に大いに関心を示し、ナチス党の政策に取り入れたのです。

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