築地玉寿司4代目が創業100年目に起こした大革命。本店2階に“異端児”が込めた「3つの意味」

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今年で創業100年目を迎える築地の老舗「玉寿司」。そんな名店を率いる4代目が、次々と意欲的な取り組みを進めているのをご存知でしょうか。そんな試みを取り上げているのは、フードサービスジャーナリストの千葉哲幸さん。千葉さんは今回、玉寿司代表の中野里陽平氏が本店2階に新業態店を開いた理由を、本人に直接取材。さらに同社が新入社員を教育する「玉寿司大学」を続ける意義等について考察しています。

プロフィール千葉哲幸ちばてつゆき
フードサービスジャーナリスト。『月刊食堂』(柴田書店)、『飲食店経営』(商業界、当時)両方の編集長を務めた後、2014年7月に独立。フードサービス業界記者歴三十数年。フードサービス業界の歴史に詳しい。「フードフォーラム」の屋号を掲げて、取材・執筆・書籍プロデュース、セミナー活動を行う。著書に『外食入門』(日本食糧新聞社発行、2017年)。

100年を迎える老舗「築地玉寿司」で革命を起こす「異端児」4代目の挑戦

「築地玉寿司」というブランドは主に東京圏の百貨店で多く目にする。イメージとしては「自分へのご褒美」的に晴れやかな気分ですしを楽しむという感じ。高級店ではなくプチ贅沢で利用するすし店である。

同店を展開する玉寿司(本社/東京都中央区、代表/中野里陽平)では2022年11月1日築地の本店の2階に「鮨 本店上ル」をオープンした。店舗規模は39.5坪・19席。この数字から分かるように実にゆったりとしている。カウンターだけですし職人の技を目の前にしてすしを楽しむことができる。完全予約制でメニューは「おませコース」のみ。客単価2万円の高級店。同社としては31店目にあたる。

「鮨 本店上ル」では板前が丁寧に調理してお客に対応する

「鮨 本店上ル」では板前が丁寧に調理してお客に対応する

「商売の復興」と「脱大型宴会」の形

同社が同店をオープンした理由は2つある。同社代表の4代目となる中野里氏に伺った内容を以下に紹介しよう。

まず、同社の記念碑的な位置づけ。同社の創業は1924(大正13)年、2023年で100年目を迎える。その表現をどのようするかということを1年以上前から考えていたという。

「この場所は、太平洋戦争のときにB29の焼夷弾によって焼け野原となった。ここから『築地玉寿司』の復興をやりきったのは私の祖母である『中野里こと』。この地で商売を続けてきたのは、われわれにとって誇りであり、魂が宿っている。そこで中野里ことの世界観をどこかで表現したいと思った」

玉寿司創業の場所に構える「築地玉寿司本店」

玉寿司創業の場所に構える「築地玉寿司本店」

玉寿司を創業したのは中野里栄蔵氏とこと氏の夫妻。しかしながら栄蔵氏は1945年に49歳で亡くなった。栄蔵氏から「玉寿司を頼む」と言われたこと氏は、4人の子供を育てながら玉寿司の2代目となり女性の板前、経営者となって玉寿司を復興させた。このストーリーは『こと~築地寿司物語~』としてまとめられ舞台となっている。

2代目として4人の子供を育てながら玉寿司復興を成し遂げた中野里こと氏

2代目として4人の子供を育てながら玉寿司復興を成し遂げた中野里こと氏

次に、時代の需要に応えた業態転換という側面。

「本店の2階をふと見たときに、昔ながらの昭和の宴会場があった。コロナ前は企業様の大人数の宴会が入っていた。しかしながら、コロナ禍になって社用の需要がほぼゼロに。一方で、3~4名様程度のプライベートの需要はあった。身内の人たちによるちょっとしたお祝いで『ありがとう』を伝える場所でおすしを楽しむシーンが増えてくるのではないか。では、そのような場所をつくろうと考えた」

店内には余計な装飾がない。カウンターは一枚板ではなく古材をつなぎ合わせたものを使用。ここに「質素」の思想がある。壁には大木の幹をイメージした力強い油絵が飾られ商売復興の情念として伝わってくる。完全予約制であるが、なかなか思い通りの予約が取りにくい人気店となっている。

4代目は「クオリティが高い客単価2万円という設定は、お祝いをする側、される側にとっても適正な価格として受け止められているのでは」と語る。

カウンター越しに丁寧な調理風景を見ることができることも魅力

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