もはや瀕死の立憲民主党。最大野党が聞いて呆れる幼稚園レベルの安保論議

 

忘れ去られた「2015年安保法制反対闘争」という原点

今の立憲民主党の中心にいる皆さんはどうもそう思っていないようだが、同党の原点は2015年安保法制反対の戦いにある。

院内では、岡田克也代表の民主党を中心に、江田憲司らの維新の党、共産党、社民党、山本太郎らの生活の党などが共闘し、院外では民主・社民両党を支持する自治労、日教組など旧総評系労組の平和・反核運動組織「平和フォーラム」と、共産党系の「9条の会」など平和団体や労組とが連携して国会包囲デモを盛り上げた。これを通じて民主党と維新の党は接近し、16年に合流し民進党となった。

同党の代表が岡田から蓮舫、前原誠司へと変転する間に、しかし、細野豪志や長島昭久など共産党との野党協力を嫌う超保守系を中心に離党者が続出し、展望を見失った前原は17年10月の総選挙目前に、民進を丸ごと、小池百合子が作った「希望の党」に合流させるという精神錯乱的方針を打ち出した。ところが小池は、民進のリベラル色の強い者や民主党政権の中枢を担った者などを排除する方針を表明。そのため民進は、リベラルの旗を下ろすまいとする枝野幸男の「立憲民主党」、それと一緒になることを躊躇う岡田や野田佳彦などの「無所属の会」、それでも何でも「希望」に行って小池の懐に抱かれたかった前原や玉木雄一郎らに3分解してしまった。

リベラルにも中間層にも支持されぬ「虻蜂取らず」状態に

枝野が一瞬の判断で立憲民主の旗を掲げたのは大正解で、その選挙で彼が演説に立ち「私がたった一人で立憲民主を立ち上げたのです!」と叫ぶと、おそらく安保法制デモの中心を担ったであろうシルバー世代の聴衆から「ありがとう」コールの大合唱が起きた。政党を作って「ありがとう」と言われたのはたぶん枝野が初めてで、それは間違いなく、「民進が小池の軍門に降ってしまえば、もう投票する党がなくなる」と絶望しかかっていたのを救ってくれてありがとうという意味だった。

ここが立憲民主の核であって、今の指導部が「中道にシフトする」とか「中間層に手を差し伸べる」とか言って国民民主党や日本維新の会との院内協力を優先し、従って岸田大軍拡にも正面切って反対しないといった軟弱路線に進めば進むほど、核であるはずの真正リベラル層は離れて行き、その割には無定見の中間層からの支持は集まらないという虻蜂取らずに嵌まり込んでいくのは目に見えている。

全滅を避けるには、予めリベラル核の部分を分離し温存することである。

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