日本の製造業「凋落」の象徴。なぜ東芝は中国企業に買収されてしまったのか?

 

自業自得か。東芝がかつての下請けに買収されるまで

東芝が、シロ物家電の事業を、中国企業の「美的集団」に売却したということはすでに述べました。この美的集団というのは、かつては東芝の事実上の下請け企業だったのです。

美的集団は、1968年に広東省順徳の住民23人によってつくられた「北湾街道プラスチック生産チーム」が発祥です。当初は、小さなプラスチック工場に過ぎませんでした。1980年に、扇風機の試作が成功したことで家電に参入します。1981年には「美的」を商標登録しています。

1985年から、エアコン、炊飯器、冷蔵庫等の生産も開始し、1992年には株式会社化しました。1993年には深川株式市場に上場しています。80年代の年平均成長率は60%、90年代も50%という驚異的な成長を遂げました。

美的集団の発祥の地である広東省・順徳は、改革開放政策の象徴的な地域でもありました。90年代以降、日本や欧米の企業が相次いでこの地に工場を建設しました。特に日本はその度合いが強く、東芝、三洋、パナソニックなどもこの地に工場を建設しています。

東芝と美的集団は、以前から深い結びつきがありました。東芝は、1993年に美的集団と業務提携を開始しています。業務提携といっても、当時の東芝と美的集団では、大人と赤ん坊ほどの違いがあり(もちろん東芝が大人である)、事実上、東芝が中国に進出するための窓口として、美的集団を使っていたのです。美的集団の主力商品である炊飯器は、このときに東芝からマイコン技術を導入しているのす。

また東芝は90年代初頭に、広東省順徳の「萬家楽」という中国企業と、エアコン・コンプレッサー製造の合弁会社を作っていました。この合弁会社が失敗し、1998年、順徳の自治体政府が仲介し、「萬家楽」の持ち株を「美的集団」に買収させました。そのため、東芝と美的集団は、エアコン・コンプレッサー製造を共同で行うことになり、合弁会社の名前も「美芝」とされました。

この「美芝」の経営は大成功をおさめ、美的集団は一躍エアコンの世界有数のメーカーとなったのです。東芝は、いわば美的集団の飛躍の立役者ということになります。

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