グローバル化が進行する現代社会において、親である以上は我が子に世界のどこであれ生きていける人間に成長してほしいと願うもの。しかしそこで重要になってくるのは語学の力のみではないようです。今回のメルマガ『東南アジアここだけのお話【まぐまぐ版】』では、マレーシアに11年以上滞在する文筆家で編集者ののもときょうこさんが、小説家の角田光代さんのエッセイを引きつつ「けなし旅」をやめるよう提案。さらに「異文化対応能力」の鍛え方をレクチャーしています。
どこでも住める人になるには「けなし旅」をやめることが早道だよ
「子どもをどこでも住める人にしたいんです」
こんな相談をよく受けます。
英語ができたらいいか、というと、そうでもないと思います。
英語ができても海外で生活無理なかた、たくさんいます。
重要なのは「まいっか」と物事を許容できる力ではないかと思うんですね。
「こだわりを捨てる」です。
「食べ物不味い」を口にするとその土地で揉める
小説家の角田光代さんが、エッセイ集『降り積もる光の粒』の中で、「けなし旅、褒め旅」という言葉を紹介しています。
たとえば、「けなす」ことでその場所と親しくなろうとする人がいる。
はじめて降りだった場所で、はじめての光景を目にし、「つまんないところだな、見るべきものがなんもないよ」と、そういう人は言う。
レストランでその土地の料理を初めて食べたとき「うわ、これをずっと旅のあいだ食べなきゃなんないの?この国ってもしかしておいしいものがないの?」と、そういう人は言う。
混雑したバスや鉄道に乗って「なんかくさい」、街を歩いて「なんでこんなに暑いわけ」、タクシーに乗って「この運転手、ぼったくりそうな顔してる」、ハエが飛び交う市場を歩き「うわー、きったねぇなぁ」、屋台で出す料理を前にして「見るからに腹をこわしそうだよな」と、そういう人は言う。
『降り積もる光の粒』角田光代(文春文庫)
ああいるいる……。
マレーシアに来てこれやって帰る日本人を多く見てきました。
私は「面倒臭い人だなぁ」となりますが、なんと角田さんは彼らは、「けなすことで土地と親しくなろうとしている」と分析します。
奥さんに「こいつ、馬鹿だからさ……」といって親しさを表すような「けなすことによって仲良くなる人」ではないかと言うのです。
この視点はなかった。
さすが小説家だなーと感心したのです……。
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