死してなおアンチを刺激。なぜ安倍晋三氏は左派にここまで嫌われたか?

 

極めてフレンドリーなものだった安倍氏の対中外交

(4)清和会ということでは、単に親米保守一本というのでもない、特に外交上の多様なカードを持っていた集団です。例えば、日本国内から見れば、安倍晋三というのは、中国に屈しない保守政治家だと思われていますが、彼自身の対中外交は極めてフレンドリーなものでした。

小泉純一郎が「現役総理の靖国参拝」にこだわって、完全に中国との首脳外交を遮断したわけですが、第一次安倍政権ではサッサとこれを復活させています。また胡錦濤の末期には、民主党の野田政権が関係を悪化させたわけですが、第二次安倍政権はこれを修復しています。

この清和会の中国チャネルということでは、やはり1978年10月に当時の福田赳夫総理が鄧小平副主席を日本に招いて、日中条約の調印をやった、この歴史的な事実がベースになっていると思います。

ロシア外交も清和会はかなり意識的に動いていました。そもそもは、安倍晋太郎の下関遠洋漁業人脈がルーツらしいのですが、森喜朗も、小泉もそして安倍も、ロシアとの外交は延々と粘り強くやっていました。例えば、ロシアとのチャネルということでは、小泉政権時代に「鈴木宗男への弾圧」という事件があり、図らずも日本側に複数のチャネルがあって、相互に緊張関係があったことが浮かび上がっています。

いずれにしても、清和会とか、安倍晋三という政治マシーンは、親米保守でありながら、中国とロシアには独自のチャネルを持っていたわけです。勿論、現在の情勢は非常に難しいわけですが、それでも、何らかのチャネルが維持されているのなら、それは岸田流の「ウクライナ100%」「アメリカ100%」を少しだけ緩和して、日本外交の自由度を高める方向に動いて欲しいと思います。

ただ、現在の7名の顔ぶれを見ていますと、仮にそこに稲田、高市などを加えたとしても、安倍時代までの清和会のようなマルチ外交のハンドリングができるかどうかは非常に怪しいと思います。

もしかしたら、清和会の中国人脈、ロシア人脈ということでは、安倍晋三氏の死去とともに、完全に消えてしまったのかもしれません。

無理して引っ張りバラまいても回らなくなってしまったカネ

(5)清和会の遠いルーツは政友会であり、いわゆる「地方の名望家」の利害代表という側面もありました。森喜朗という、決して器用ではない不思議な「古さ」を持った人物にその代表を見ることができるかもしれません。

けれども、2023年も半ばに差し掛かった現在、地方経済が大きな岐路に立っているという事実は否定できません。地方だけでなく、全国どこでもそうですが、無理してカネを引っ張ってきてバラまいても、そのカネが回らなくなっているのです。

東京五輪もそうでしたが、大阪万博もそうでしょう。新幹線などのインフラも、新幹線の札幌延伸とか、リニア中央新幹線などは経済効果を期待できるかもしれませんが、その他のプロジェクトとなるとかなり疑問符が付きます。それどころか、鉄道ネットワークに関しては、かなりの部分で「畳んでいくプロセス」に入っているのも事実です。

心配なのは地銀で、今はとりあえず落ち着いているようですが、今後、急速に金利が上昇してゆくと難しい局面もありそうです。それはともかく、地方経済が土地に根ざした「名望家」によって回される、そこにカネを撒いていくマシーンとして保守政治があるというシステム自体が、相当に細っているのを感じます。

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