死してなおアンチを刺激。なぜ安倍晋三氏は左派にここまで嫌われたか?

 

安倍氏を「存在そのものが敵」と認識していた左派

勿論、裏返してみれば、左派の側からすれば、戦前回帰や人権思想批判をする憎いイデオローグであるだけでなく、国の舵取りを任せるには極めて頼りないキャラであるわけです。そんな中で、安倍晋三という人には「この人をのさばらせておくと、最終的に自分の心の中の危険回避本能がピーピー止まらなくなる」という本質的な嫌悪が湧いて来るのだと思います。

今回の一周忌にあたっても、人一人死んでいるのに今でも残酷なことを言ったり、左派の側では全く反省がありません。ですが、そこまで思い詰めるのには理由があるわけで、やはり「非知識人、お坊ちゃん、左派を敵視し戦前回帰を企む危険なキャラ」ということで、一種の「存在そのものが敵」と思ってしまうのでしょう。また、左派からそこまで憎まれることが、逆に右派の支持を集める求心力になっていたのだと思います。

例えばですが、現在の清和会のリーダー候補と言われる、5人衆(松野、西村、萩生田、高木、世耕)にしても、この5人と敵対している下村、塩谷にしても、安倍氏のカリスマには足元にも及ばないばかりか、「自分の言葉」で世論と向き合った瞬間に頓死してしまう危険性を感じます。高市さんも意外と大したことはないと思います。

「保守イデオロギーの原点が何なのか」という問題

(3)保守イデオロギーの原点が何なのかというのも問題です。例えば、問題になっている旧統一教会との関係がやはり不明確です。どうやら反日らしいが、反共主義ということでは過去ずいぶんと親近感を感じてきた、何よりも選挙の際には力を発揮するので切れない…というのは分かります。

また、いわゆる日本会議的な勢力が、色々言ってくるのも分かります。何となく、そうした宗教的な保守イデオロギーをスローガンに掲げると、高齢票には効くという判断もあるのでしょう。

例えば選択式夫婦別姓に反対するとか、LGBTQの人権に懐疑的になるというのは、「自分がこれまで信じて属してきた日本」が「壊れてしまう」とか「変わってしまう」という不安・恐怖、そしてその裏返しとしての原理主義として、ある程度の支持があるというのも事実でしょう。

ですが、もう右旋回した団塊世代は有権者としての「塊」がかなり解体・消滅に入っています。その下の世代となると、いわゆるシラケ、ノンポリであって、右旋回しても高が知れているわけで、その更に下の世代になると、保守イデオロギーといっても、かなり是々非々になるのではないかと思います。

立憲民主党の泉健太代表が「乃木神社」に参拝しておきながら、その意味合いを全く知らなかったように、団塊以上の世代であれば、心に刺さったり反発したりしてきた、歴史認識の問題なども、どんどん関心が薄れていくということもあると思います。

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