ホンマでっか池田教授がジープで谷から転落した時に考えていたこと

Palma,De,Mallorca,,Spain,July,22,2023:,An,Injured,Jeep
 

不慮の事故に遭遇し「死ぬかもしれない」と思ったときに、人は何を思うのでしょうか。「死にたくない!」という気持ちよりも、やり残したことが思い浮かんで後悔したと語るのは、CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田教授です。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、30代の終わり頃、ジープごと谷に転落し一命をとりとめた体験を述懐。76歳になったいまは、ミニトマトはよくできても大玉トマトはなかなかできず諦めた庭仕事をしながら、突然命の危険にさらされる熱中症の予防には気を使っていると伝えています。

熱中症を心配しながら庭でミニトマトを作る

定年になってから、家庭菜園で様々な野菜を栽培し始めて、いろいろ勉強になったけれども、76歳なので勉強した成果が将来に役立つかどうかは定かではない。そうだ、来年はこうしよう、と思っても来年生きているかどうか分からない歳になってしまった。

若者と老人の違いは、若者は客観的には自分の余命は有限だと思っていても、主観的には余命はまだ無限だと思っており、老人は客観的にも主観的にも、自分の余命は有限だと思っていることである。私も70歳くらいまでは若者だったけれど、今や立派な老人である。

しかし、客観や主観がどうあろうと、実のところ人はいつ死ぬか分からない。主観的には無限に生きると思っていた若者が事故でいきなり死ぬこともあるし、呆け老人で、あと数年の命と思われていた老人が、呆けながら20年くらい生きることもある。私は30代の終わりの頃、虫採りに行ってジープごと谷に落ちたことがあった。落ちながら思ったことは、「まずいこれは死ぬかもしれない。構造主義生物学の本を書いておけばよかった」ということだけだった。

当時私は、柴谷篤弘先生と共に、構造主義生物学という新しいパラダイムを掲げて、その最初の本格的なマニュフェストを書くと公言していたので、本を書く前に死ぬのは勘弁してもらいたいと思ったのだ。落ちながら、死ぬだろうな、とは思ったけれど、不思議なことに死ぬこと自体は怖くなかった。本を書かなかったことの後悔の方が大きく、死ぬというところまで頭が回らなかったのだ。全身打撲で、1カ月ほど寝ていたが、命が助かって初めて死ぬのが怖くなり、死なないでよかったとしみじみ思った。

それでも助かってしまえば、その後の余命は主観的には無限だという状態に戻ってしまったが、いつ死ぬか分からないから「構造主義生物学」の本だけは書かねばならない、という気持ちになり、この年の夏に、ねじり鉢巻きで本を1冊書き上げた。私の最初の理論書『構造主義生物学とは何か』である。

畑仕事は車の運転ほど危なくないので、事故で死ぬ確率は少ないと思うけれど、石に躓いて転んで、別の大きな石に頭をぶつけて死ぬ可能性はゼロではない。今年の夏はことのほか暑く、夢中で畑仕事をすると熱中症になる確率は相当大きかったに違いない。若者は運動能力も体温調節能力も優れているので、躓くことも熱中症になることも滅多にないだろうが、老人はやばいのである。

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