止まらぬ子供の自殺。大人が論争する間にも死を選択する生徒たち

 

出席停止は運用されない

平成29年度の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」(文部科学省初等中等教育局児童生徒課)によれば、いじめ加害者に対しての出席停止は、小学校で1」(29年度)のみであった。

一方で、いじめ被害者が事実上出席できないとなったケース緊急避難としての欠席777件」(29年度)になっている。

つまり、出席停止の運用は学校教育現場としてはハードルが高くなっており、事実上運用されるようなケースはほぼないと言っても過言ではない。

学校に行くくらいなら死にたいと言う子どもたち

私のもとには多くのいじめ被害相談がくる。多くの子は、心も身体も疲弊しており、学校に行くという気力もないし、いじめ被害がトラウマなどになってしまい身体が拒否反応を示してしまうケースは多い。

よくもここまでいじめを放置したものだと憤りを感じるが、この状態になってまでも、学校に行かせようというのは、もはや拷問であり、二次被害と言える。

ところが、学校に行くことは常識と考える親世代がいることや、いじめを防止できていないのに登校を半ば強要する教員らがいるのだ。

現実として、私は校長会やPTAから批判されることがある。学校に行かなくていいなんて、不登校を推奨するのは、やめろという主張だ。

私は「君にとって学校が地獄なら、行かなくてよい」と宣言した。死ぬほど行きたくないなら、行かなくてよいというメッセージが不登校を推奨していることになろうか。

ほとほと日本語が不自由な輩には困りものであるが、それでも、学校に行くことが全てではないということが広がることで、自殺という選択肢が無くなればよいのだ。

問題なのは、いじめが起きたら学校に行かないことが正しい選択だと思い込んで、やたらと推奨しようとする大人社会であろう。

それが過剰になってしまえば、いじめられた子は、まるで「学校に来るな」と言われているように感じてしまう恐れがあるのだ。

実際にいじめ被害の子と深く話をしていると、「本当は学校に行きたい」「修学旅行に行けないのが辛い」「学校に行かないことで将来に不安がある」という声はよく聞くのだ。

つまり、多くの被害者は、本当は学校に行きたいが、いじめがあって行けないし、心のブレーキがかかって想像するだけでも辛くなってしまう。ただ、登校するより、いじめがない家にいた方が安心できると思っている。

そして、もしもその安心すら奪われるのであれば、居場所がなくなってしまう、追い詰められてしまうのだ。

問題の多くは教育行政にある

大阪・寝屋川市は、市長部局で新たに監査課を作り、いじめの調査に乗り出すことになった。

いじめの通報があれば、原則いじめがあったとして調べるのだ。さらに改善が見込めないとなれば、刑事告訴や民事訴訟の費用を30万円程度を上限に弁護士費用を支援するとも発表している。

ある意味、教育委員会にも学校にもできないのでしょ、と市長が乗り出したと言うようにも見える。

これまで私は、各地域の教育委員会と話をしたり、私立であれば都道府県の私学部や私学課を話をしてきた。その多くは、残念な知識量の担当者であり、子育てを謳い当選したのにも関わらず、自らの権限を知らない市区町村の長であった。

市長は逃げ回り、任命された教育長はいじめから助けてほしいという訴えをクレーム処理のように対応していた。

いじめ対応の基本は、「被害者の立場に立って」である。これは文科省も同様のことをホームページに記載している。

その前提に基づけば、行き過ぎたいじめの加害行為が学校としての秩序や被害者の教育侵害にあたるのだから、「出席停止」は妥当な判断になろう。一方で、物理的に、動線的にも被害者と加害者らが会わないように十分な配慮して「別室指導や授業」という選択もあっていいだろう。

そして、隠蔽問題の要因の1つでもある教育現場がいじめ行為をうまくキャッチしきれていない問題がある。

岐阜市のいじめ自殺問題ように、いじめの告発的報告や相談を加害者に漏らしたり、それを廃棄するようなことは、大阪八尾市の事件でも、小学4年生当時の記録が廃棄されてしまっていたし、カウンセラーの取ったノートも廃棄ということになっていて、詳しく見ていけば、保身のために隠されたいじめも多い

こうした問題を起こした教員は処分されることもなく、のうのうと授業を行なったり、体調不良を言い訳に雲隠れしてしまっている。

神戸市での教員間の犯罪行為問題でも、加害行為を行った教員らは処分を不服としていると報道されていた。一方で、カレーつながりで給食からカレーが消えたり、連帯責任として、ボーナス加算分を取り上げたりと、その後の対応は迷走を極めていると言えよう。

こうした混迷の中、問題意識を持つ地方自治体の長などが旗振り役となり、その権限を十分に発揮することは、教育行政にある多様な問題を解消する一縷の光になる可能性がある。

そして、いじめから子どもたちを解放していこうというところで言えば、出席停止の運用問題や被害者だけが学校に行けなくなってしまうという問題も含め、いずれのメッセージも必要がなくなるように、教育行政と現場が制度や仕組みすらも変えていかなければならない

だからこそ、寝屋川の広瀬市長のいじめ対策は画期的な取り組みの1つとして、大きな期待が寄せられているのだ。ぜひとも、全国の地方自治体の長には立ち上がってもらいたいものだ。

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