ひとつは「人生を、自分の思い描いたシナリオ通りに、運べた方々」。そして、もうひとつは、「思い通りに行かなかった人生のシナリオを、思い通りに書き換えられた方々」。になります。もう一回、言います。
ひとつは、「人生というシナリオを、強引に、圧倒的な意志力で、圧倒的な才能で、圧倒的な努力で、時には圧倒的な運で、そのままシナリオ通りに生きている方々」。
そして、もうひとつは「人生、やっぱりシナリオ通りに行かなかったとして、それを書き換える力を持った、場合によっては何度も書き換える、シナリオ書き換え力(りょく)を持った方々」です。
1000人、全員が、結局、この2つのどちらかに分類されます。一人残らず、です。どちらかにはカテゴライズできると言っていいでしょう。逆を言うと、この2つのどちらでもない場合は(あくまでここでは、ここでの)成功者の定義からは外れます。
僕たちは、特に僕たちの世代は、よく、こういうセリフを今まで聞かされてきました。「人生、台本通りには行かないよ」「人生、筋書きのないドラマだから面白いんじゃん」「人生、シナリオ通りに行くやつなんていないよ」「人生、脚本通りに行ったら、苦労しないって」。確かに、僕もそう思います。でも、いるんです。たまにですが。ごくごく、稀に。
子供の頃、描いた夢をそのまんまに、その通りの人生を歩んでいる人。いや、常人では計り知れないパワーで、その通りに人生を強引に運ばせている人間が。
幼少期、もしくは、青年期に描いた「メジャーリーガーとして世界で活躍したい!」「ハリウッドで成功する役者になりたい!」「世界的ファッションデザイナーになりたい!」「日本を代表する、世界に通用するアーティストになりたい!」という夢をそのまんま実現している人たち。
彼らには、まず圧倒的な才能があります。そしてとんでもない努力ができます。その努力の量は、もはや「才能」というジャンルで表現しなきゃいけないほどだったりします。とてつもない努力ができる、才能。
まず、真っ先に思い浮かぶのが、ICHIRO選手、です。
ICHIRO選手が不世出のスーパースターであることは日本国民みんなが知るところです。ただ、20年間以上、ニューヨークでスポーツライターをする僕の友人が言ったセリフはさらに強烈でした、「実は、実際の功績に比べると彼は過小評価されている」。
野球業界から言わせると、彼のやってきたことは、世間が「すごい」と思っている何倍も「すごい」。「すごい」以上に「すごい」らしいです。とんでもない才能を持っていたとして、とんでもない努力をして、それでも叩き出せる数字ではない、と彼は言います。もう2度と出て来ない。とんでもない才能に、とんでもない努力をかけて、そして、四半世紀以上に渡るとんでもない意志力もなければ、できない。それらが重なって初めて出せる記録…とのことです。なんなら、もう、なんか、ちょっと、アタマおかしいんじゃない?(笑)ってレベルだそうです。
僕が取材したのは2005年、あの「年間最多安打」の世界記録を更新した翌年でした。彼は「昨年はまだ自分の打撃が見えてなかった」と言いました。「え!?世界記録出したのに!?」そう喉元まで出かかりました。
そして、「今年の方が理想のバッティングができている」と続けます。その時点で、自身が叩き出した昨年の記録にまだ到達していなかったにも関わらず、です。僕のような凡人には、まったく理解できない話でした。彼の感覚は、世界記録よりも上に位置します。
休みの日は何をしていますか、の他の記者の質問に、「ドラマを見たり、犬と遊んだり…」と言いながら、でもやっぱりすることないので球場に(練習をしに)行くかなあとつぶやきました。シーズン中の試合と試合の合間の貴重なオフ。そこでも練習ですか?と聞くと「いやぁ、練習なんてそんな大したもんじゃないっすよ。体を動かす程度のストレッチ代わりです」と答えました。
あとで、お付きの記者に聞くと「あの練習を、体を動かす程度って言われたら、並みの選手の練習がかわいそうだよ」と言っていました。
間違いなく、野球をすること自体が好きで好きでしょうがないのだと思います。練習という努力も彼にとっては努力ではない。ごくごく当たり前のこと。僕たちにとっての呼吸と変わらない。
もちろん、その過程で、凡人にはわからないほどのプレッシャー、ストレスも感じられているはずです。練習が嫌だと思う日だってあるに違いない。でも、僕たちの感じる、プレッシャー、ストレス、練習嫌だ、の感情とは、また別の次元のような気もします。圧倒的な努力を四半世紀以上継続できる、というある種「才能」ではないかと思うのです。
日本では書店に「イチローに学ぶ成功哲学」や「イチロー名言集」のような書籍が並びんでいます。もちろん、彼の流儀、ルール、生き方、そして言葉から学ぶことは多い。でも、本質的にあれだけの強靭な意志力を、言葉ヅラだけなぞって、果たして真似できるでしょうか。エッセンスは参考になっても、リアルな目標にできる対象でしょうか。
努力を努力と思っていない天才は、すべてが規格外です。どんなピンチもプレッシャーも跳ね返し、その経過はとてつもない苦労があるはずですが、結局は、思い描いたシナリオ通りに、現役生活を終えた。彼こそが、典型的な「シナリオ通りに、進んだ成功者」だと言えます。
もちろん、ご本人や熱狂的なファンにしてみれば、「そんな簡単な言葉で済ませるな! そのつど、プレッシャーを跳ね返し、ありえないほどの努力をしてきたんだ!」と言うかもしれません。
ただ、僕には、その才能と意志力と努力を使い、結果として「シナリオ通りに、進んだ成功者」に見えるのです。少なくとも、途中「2流選手でもいいから、そこそこの年俸をもらって、引退後は解説者に転身する」というシナリオの書き換えはしていない。細かい微調整は必要だったとしても、大局「メジャーリーガーの一流選手になる」のまま、野球人生のシナリオを終えた。