復帰をしたいジレンマ
被害児童であるA君もA君の保護者も、学校へ再び平和に通える当たり前の権利を求めている。ところが、学校はいじめの中でも重大事態相当の酷いいじめを単なる「じゃれあい」だと主張したほか、教室の中で担任のほぼ目の前とも言える位置関係で起きていた度重なる暴力を放置した。
いじめの加害者らは中心人物であるBを含め学年の2割もいるが、誰一人適切な指導を受けず、反省している様子は全くない。むしろ、自らの暴力や暴言を認めつつも、理由さえあれば、それが不当であってもよいのだと無茶苦茶な自己肯定を繰り返しているのだ。
また、この小学校では、 昨年度中に児童間でカッター切りつけ事件が起きており、それ自体もまるでなかったかのように処理されている。
つまり、被害側は当たり前の教育を受けたいが、それは同時に身の危険を本格的に伴うことになるのだ。一方で、学校に復帰できないことになれば、本来受けられる教育も、加害者ら以外の友人に会うこともできないのである。
学校については早急に「被害者支援計画」を策定する必要があるが、何らの支援も計画されている様子もないのだ。
多くの被害者が同様のジレンマに苦しみ、動きの鈍い学校に大きなストレスを抱えている。
教育委員会は今すぐ動け
学校の無策は結果として、新たな被害者を生み出したり、被害者が当然持っている教育を受ける権利を侵害する。一方で、加害者らは適切な指導を受けることができず、自らを省みる機会すら失う。直接関係のないように見える傍観者であった児童らは、学校への信頼感を失い、次の被害者候補としてビクビクしていなければならない。
この状況は、学校経営という観点から正常運営できていないことを意味する。世間的には、教育委員会があたかも学校の天敵のようなイメージがあるようだが、その実、教育委員会と学校は人事交流をしているし、もたれあい・庇いあいをしていることが指摘される組織だ。しかし、その主体となる役割は、「学校の通常運営の支援」 である。
この小学校は正常運営できていないわけだから、教育委員会は今すぐ、積極的に学校の安全安心を当然に確保するために動く責務がある。
もしも、これで教育委員会が動かぬのであれば、その役割を果たせないわけだから、どこの誰がそんな税金の無駄使い組織が必要だと考えるだろうか。
葛飾区教育行政は、私の私見であるが、いくつもある問題を何とか改善しようと積極的に動いているように思っていた。教育行政に係る一人ひとりが、今一度いじめ問題への取り組みを見直し、今起きている問題は時間の猶予などはなく、できることからすぐはじめ、被害者にとって何が最適なのか、公教育として何が公平なのかを行動で示してもらいたい。
編集後記
10月22日文科省の発表によれば、いじめの認知数は連続で増加し、61万8563件であったそうです。常に増え続けるいじめの認知数をマスコミは一斉に報じますが、専門家に求める意見は、「異常な増加」「けしからん数字」です。
しかし、平成20年代からの推移とそれぞれの年の出来事などを比較すれば、もともと18万件から22万件程度に押さえ込んでいた数字が、文科省の積極的な指導などがあいまって、本来いじめとしなければならぬ件が、指導の強さなどから浮いてきただけであると言えるのです。
それを考えれば、確かに本来いじめで対応しなければならなかったものが放置されていたことを意味しますから、とんでもない数の隠ぺいが起きていたことが浮き彫りになったとも言えます。
様々な学校のいじめ予防の取り組みは、いじめ被害報告を受ける中で、私はできる限り把握しようとアンテナを張っていますが、全国的・全体的にみて、いじめの予防教育が実施されている事例はごく少数だと言えます。ほとんどの学校はやっていません。
これは多くの場合、児童生徒らへの教育を指しますが、教職員や学校経営の立場である校長副校長らは研修止まりで(しかも具体性を欠くカリキュラムが多そうなので…)現場で知識不足だと思える事例が後を絶ちません。
今回の葛飾区の小学校のように、身体に問題が生じるほどの重大事態相当のいじめが起きているにも関わらず、基本である「被害者の立場に立って」の考えが欠如した対応は、懸念される、さらなる認知数の爆発的増加に拍車をかけている危険な学校対応だと感じます。
子どもたちは日本の未来です。未来を明るく、コロナ禍で全てにおいて出口が見えない今、教育行政には細部に至るまで、より緊張感と危機感を持って動いてもらいたいと思います。
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