日本の大問題。自分の頭で考える子ばかりがいじめられる妙な空気感

 

子どもの頃に面識のあった子どもだったので、私は、下校時に偶然を装って通りがかったお母さんの友達のおばさんを演じて、本人にストレートに聞いてみました。彼は「だって、ソーラン節だよ。北海道の民謡ではないですか。僕は昨年の先輩たちの演舞を見て、3年になってすぐクラスで話して、まとまったから全体に提案したんだ。この地方の音楽を使った郷土愛にあふれたものにしようって。一度は話し合いで、クラス代表が集まった全体の会議でそれが決まった。でも、先生たちが嫌な顔をして。みんな先生たちの顔色をうかがって去年と同じにした。くだらないから、やりたくない」。

なるほど、一応、理由があったわけです。「でも、集団のダンスなら、君一人がやらないことで調和が崩れて、台無しになってしまうし、運動だと思って割り切ってやれば」と言うと、彼は「中学生最後の思い出に、記念になるようなものを…という目的で熱心に話し合ったのに、例年通りじゃあ意味がないし、意味がないってことで、僕は筋を曲げたくない」と言い張ります。そこまで言うなら良いでしょう。先生には、彼の主張は伝わっていたようなのですが、生徒たちみんな、特に他のクラスの人達には伝っていないようでした。

私が会った時には、彼ひとりだけで下校していましたし、カバンがいやに汚れていました。理由を聞いてみると、体育大会の練習がはじまってから、友人たちは彼を避けるようになり、教室では物が隠されたり、様々ないやがらせ、ハラスメントを受けているようなのです。

彼は「たとえ、知らないところでカバンが蹴られて白くなっていても、それを見たところで先生たちは知らん顔さ。僕は先生に逆らっているから。いじめはダメの法治主義でなく、集団圧力という人治主義なのさ。これが日本という国なのさ」と言います。

とても頭の良い子です。そして、“我一人行く” ある意味、見上げた根性です。このような学生はめったにいません。

そして、ルールや手順を遵守しながら討論をかわすでもなく、長いものに巻かれろ、で先生の意向や集団の空気で決まることへの理不尽さをよく分析しました。彼なりに、考えに考えて出した結論なので、ダンスをやらない自由を選ぶ以上、自己責任をとらねばなりません。成績が悪くなっても仕方ありません。

実は、彼は幼稚園から小学生まで、お父様の仕事の関係で、欧州各国で教育を受けていました。そのため、納得するまで討論し合いたいのです。空気が支配する、日本の学校集団文化には馴染めないのでしょう。

しかし今回の件は、学校も本人も双方、度を越していると、私は考えました。私は、お母様にこのことをお伝えし、お父様と交えて話し合いをして、学校に、「たとえどんな理由があったとしても、いじめやハラスメントは許されない。ハラスメント行為をやめるよう指導をしてほしい」と申し入れをするようにお勧めしました。その結果、いじめ行為は無くなりました。

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