後日、どうなったのか伺うと、体育大会が終わり、合唱大会の練習が始まり、こんどは彼の提案がクラスで通ったようで、希望のビートルズがクラスの楽曲になったそうです。
こんどは逆に、先生から「空気読め!」というメッセージ性のある圧力がクラスにあったかもしれませんが、英国仕込みの発音アドバイスの役目をもらい、彼はクラスのセンターになりました。そして、音楽で成績優秀となり体育のマイナスを消し込んだようで希望の高校に合格しました。
日本人から見たら、ただの我がままに見えるかもしれません。チームワークを乱す、悪いヤツかもしれません。しかし、学校は思春期の青年たちに「なぜ、ソーラン節なのか」を少なくとも説得力を持って説明する責任はあったでしょう。また、民主主義はさまざまな意見を大切にします。反対意見の相手の人権も守るという観点からみたら、この事案は特にアフターフォローも必要でした。
さらに大きな視点では、「人権」を守る、ということが、「法治主義のもとでの民主主義でなければ、守られないのだ」、という永遠性のある真理を伝えるエピソードになっています。
いま香港では、大学を卒業したばかりのアグネス・チョウさんら民主活動家が、過去のデモ行為について、裁判で有罪とされ収監されました。本来、効力が及ばないはずの「行為の後につくられた法律」によっても裁かれるのではないか、と懸念されています。むずかしい言葉で言えば、「法律の不遡及(ふそきゅう)の原則」に則っていないということです。それでは、法治主義の国ではなく、人治主義の国ということになります。このような大人の世界の現在進行形の「いじめ問題」に対し、民主主義の国アメリカならどのような意見を発するのでしょうか。もしかしたら、今ならば、「もう自由はないので、空気読め」なんて、言い出すこともあるかもしれません。
価値観の違いについては、私たち日本人も身近な問題から大きな問題まで、ぶれることなく正しい選択や判断ができるよう、考える力を身につけたいものです。
社会福祉士、精神保健福祉士
元保護観察官
前名古屋市教育委員会 子ども委員SSW
現福祉系大学 講師 堀田利恵
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