なぜ自民党と争わない?『枝野ビジョン』外交・安全保障の危険性

 

「日米同盟基軸」は自明の理なのか?

何よりもまず、「日米同盟基軸」ということが、どうして何の説明もなしに自明の理であるかに措定されるのか。

「日米同盟基軸」というのは本来、自民党の用語で、第一義的には「対米従属」の同義語である。しかし、「日米関係重視」とか「日米安保大事」とか言うのとは違って、ここで「同盟」という言葉を使うと、「米国と肩を並べて戦う日本」という、今日の集団的自衛権解禁にも繋がる剣呑な第二義的なニュアンスが浮き出てくる。

これが1つの事件となったのは、〔枝野はまだ高校生だったろうから記憶がなくて当然だが〕1981年5月の鈴木善幸首相とレーガン大統領との日米首脳会談による共同声明の第1項で「日米両国間の同盟関係」という言葉遣いをし、さらに第8項で「日本の防衛並びに極東の平和及び安定を確保するに当たり、日米両国間において適切な役割の分担が望ましい」と謳ったことが問題となり、戦後初めて日米関係を「同盟」と表現したことの意味を問われた鈴木は「軍事的意味合いは含まない」と弁解した。ところが伊東正義外相は、この文案を用意した外務官僚とその向こうでほくそ笑む米国の安保マフィアに忖度したのだろうか、同盟の語には「当然、軍事的な意味が含まれる」と明言。「閣内不一致」と指弾されて伊東は外相辞任に追い込まれた。

という訳で、自民党といえども1970年代までは日米関係を「同盟」と呼ぶことには躊躇いがあった。こんな経緯があって初めて、この言葉が使われるようになったのだが、そこには、日本に集団的自衛権を解禁させて米国も軍事戦略に組み込みたいと思う米国の思惑と、それを巧く利用して日本の軍事的自立の道を開こうとする日本の右翼的保守の願望とが重なりつつ鬩ぎ合っているのである。

もちろん日米関係は大事だが、それが最優先されるべきであるかどうかは自明のことではなく、私はむしろ東アジア諸国との関係が最優先されて、それに必要な限りで米国との関係を勘案すべきだと思っている。

こういう日米関係に関する過去・現在・未来を全部吹っ飛ばしてあっさりと「日米同盟基軸」と言ってしまう枝野は、私にはノーテンキとしか映らない。

高野孟さんのメルマガご登録、詳細はコチラ

 

print
いま読まれてます

  • なぜ自民党と争わない?『枝野ビジョン』外交・安全保障の危険性
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け