オリンピックのようなスポーツの場合、審判がいる。不当なジャッジだと思ったら本来抗議するのは本人たちであって、周りではない。
普段は愛国心と聞くだけで毛嫌いする人でも、オリンピックだと急にナショナリズムが働く。赤の他人の問題に首を突っ込もうとしてしまう。そこに「正しさ」があっても、ジャッジも結果も他人のことであり、本来自分とは無関係なはずである(今まで、その選手のために自分が一体何をしてきたのかである)。
SNS上の炎上騒ぎは、この「○○さんがこんな悪いことしてましたー!」と同じ行為である。
相手がオリンピック選手でも芸能人でも同じである。オリンピックは先のナショナリズムが働くらしく、普段大人しい人も暴れ出しやすいようである(何度も言うが、自分がどこの国の人間だろうが、どのオリンピック選手とも無関係である)。
子どもに教えるべきは、正しさとはあくまで一面的であるということ。個人的に悪いと判断し思ってもいいのだが、勝手に広めて騒がないことである。これからの学校のICT教育が担うべき部分の一つがここにある。
道徳教育の混迷もここにある。多様性を認めると、正しさの軸がぶれる。正しさの軸を決めると、多様性に対応できなくなる。結果的に、ブレまくりの揺れまくりである。つまりは海上を進む船のごとく、揺れながらバランスをとるというのが現実的である。
個人的には、自国を含め、どの国がメダルを何個とったかにはあまり関心がない。全ての国の選手が気持ちよく競技をして欲しいというだけである。
グローバルスタンダードというからには、自国びいきで競技を楽しむことはあっても、どの国も大切にする姿勢が欲しい。やられたらやり返すは、終わりなき戦争の発想である。8月6日のヒロシマ、9日のナガサキ、そして15日が来る。それまでに、SNS悪口オリンピックの方は早々に閉会して、本物のオリンピック競技の方を気持ちよく見たいと願うばかりである。
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