金メダリスト吉田秀彦が明かす「異様な雰囲気」を醸し出していた父親

 

「大丈夫だよ、どうにかなるって」

『三輪工業代表取締役社長』

それが子供の頃に目にした親父の名刺だった。中学を卒業して田舎から出てきた親父は、先のこともよくわからないまま、一所懸命に働いて自分の会社を作って、自分なりの仕事をしていたんでしょう。

──サラリーマンは給料も決まっているし、オレは自分の力で勝負をしてみたい。

それは親父の代表取締役社長の名刺に影響されたからかもしれない。新日鐵の社長にはなれそうもないと、入社した時にわかった。だから柔道を引退する時、会社も辞めると僕は決めていた。

会社を辞めて、まず道場を作ったのは、以前から子供に柔道を教えたいという思いがあったからだが、道場では僕が社長のような立場だ。

「総合格闘技をやる、オレはそれで食っていくから」

会社を辞めたときに親にそう告げたが、総合格闘技といってもいったいどんなことをやるのか、親父もオフクロもわからなかったはずだ。

14歳で家を出て、講堂学舎で柔道漬けの生活を送った。

誰を頼るわけにもいかなかった。自分が強くなって試合に勝つ以外に、次の扉が開かない世界にずっと身を置いてきた。自分で道を切り開いてきた僕のやり方を、親はわかっていたに違いない。大会社を辞めて自分たちの想像もつかないことをやろうとしている息子に、心配しただろう。だが、親父もオフクロもそんな気持ちを一切、言葉にすることはなかった。

振り返ると、上京してから田舎に電話をかけるのは、決まってお金の無心だった。

「わかった」

僕が電話口でお金のことを切り出す前に、いつもオフクロはそう言ってくれた。親元を離れ遠くにいる息子の小遣いが足りないことを親は心配したのでしょう。大学3、4年になれば、飲みに行っても後輩におごらなければならない立場だから。高校、大学と特待生で学費は免除されたが、お金の面で人よりはかなり親に迷惑をかけた。

──悪かったなぁ…

稼げるようになったら、何とかしてあげたかった。親父が仕事を辞めたこともあった。プロの格闘家として試合に出場するようになって、試合のファイトマネーでつい先日、地元に2軒目のコンビニをオープンさせた。今、オフクロはコンビニの店内の掃除が趣味になっている。親父も店に毎日顔を出しているようだ。

人にはそれぞれ価値観がある。田舎に戻って暮らすことはないだろうが、長男の責任も感じる。親にしてあげられることは全部、やってあげたい。

親父は心配しながらも、僕の試合を観るのが楽しみのようだ。オフクロは僕の出る試合を今も観ることができない。そんな親父とオフクロに、僕からかける言葉は今も変わらない。

「大丈夫だよ、どうにかなるって」

(ビッグコミックオリジナル2006年7月20日号掲載)

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image by: kuremo / Shutterstock.com

根岸康雄 この著者の記事一覧

横浜市生まれ、人物専門のライターとして、これまで4000人以上の人物をインタビューし記事を執筆。芸能、スポーツ、政治家、文化人、市井の人ジャンルを問わない。これまでの主な著書は「子から親への手紙」「日本工場力」「万国家計簿博覧会」「ザ・にっぽん人」「生存者」「頭を下げかった男たち」「死ぬ準備」「おとむらい」「子から親への手紙」などがある。

 

このシリーズは約250名の有名人を網羅しています。既に亡くなられた方も多数おります。取材対象の方が語る自分の親のことはご本人のお人柄はもちろん、古き良き、そして忘れ去られつつある日本人の親子の関係を余すところなく語っています。

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