売り上げ過去最高の衝撃。ジャパネット2代目「脱カリスマ経営」の全貌

 

アキラとあきと~対立からの承継物語

1986年創業のジャパネットはもともと佐世保市内の小さなカメラ店。旭人は自宅兼店舗で働く父・明を間近に見て育った。旭人が11歳の頃、明はラジオ通販を始める。さらにその4年後、テレビ通販に参入した。

商売を大きくしていく明を見て、旭人に自然と後継ぎの意識が芽生えるが、「コネと言われたくなかったのと、周りに納得してもらわないと嫌だという意地はずっとありました」と言う。そんな思いから、中学高校は親元を離れ寮生活。猛勉強の末、東京大学に入学した。就職先も競争の激しい野村證券を選んだ。

ところが2004年、ジャパネットに創業以来の危機が訪れる。51万人分の顧客情報が流出し、業務停止を余儀なくされたのだ。

「『会社が終わるかもしれん』と言われて、業務も全部止めるという話だったので、いち早く原因を特定しないと再開できない、と」(旭人)

旭人は急遽ジャパネットに入社。得意のデータ分析で原因究明にあたり、業務の早期再開に貢献した。

2010年には地デジ放送に向けたテレビの買い替え特需で売り上げが過去最高に。しかしその反動で2期連続の減収に転落した。起爆剤となる新たな仕掛けが必要だと感じていた旭人だが、明のワンマン体制下、社員たちからこれといったアイデアは出てこない。

「大丈夫かなと思っていました。みんな父の答えを待っている人たちだったので、将来のジャパネットを考えたらどうなんだろうというのは正直、感じていました」(旭人)

そこで旭人は無謀とも思えるある企画を提案する。それが「ジャパネットチャレンジデー」。1商品だけを大量に仕入れて、1日限定の激安価格で販売するという企画だ。だが、失敗すれば大量の在庫を抱えてしまう。これに社長の明は猛反対した。

「僕も結構、大胆なことをやる方なんだけど、そこを超えているなと。やはり採算面を考えれば、経営者トップとしては慎重にならざるをえなかった」(髙田明前社長)

「やってみないとわからないというのが僕の意見で、可能性があって広がりがあるならやっていいという文化にしないと会社は成長しないと思っていて、そこは戦いまくったという感じです」(旭人)

明も出席する幹部会で、旭人は「リスクがあっても可能性があるならやるべきです」と訴えた。すると、出席者の9割以上が賛成に手をあげた。

2012年7月13日、社運をかけたイベントが始まった。反対していた明だが、MCとして必死にエアコンを売り込んだ。すると開始早々から注文が殺到、用意した1万台以上を全て売り切り、大成功に終わった。

「その時には『賛成反対』はゼロパーセントですよ、『やった!』という思いで。若い社員も、私が抜けても(旭人と)一緒にやっていけるという思いを持ったと思うから、会社の将来性にとってすごくプラスの面を生み出したと思います」(明)

そして2015年、旭人は父に代わって、社長に就任した。

「新しいことを生み出す発想は若者ならでは。今の時代を見ている。私の発想でいったら今の時代に追いつかない部分がある。まあ最後は困ったら来るでしょう、僕のところにも。来ないということは、『大丈夫』ということだと思います」(明)

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