なぜ『鬼滅の刃』が興行収入歴代1位の日本映画産業の未来は暗いのか

 

オセアニア

最後に、オセアニア地域、とくにオーストラリアとニュージーランドの映画産業について取り上げる。この2カ国は、現在ではハリウッドの映画制作現場において欠かせない国となった。

もともと、オーストラリアには世界初の映画スタジオが存在したとされる。今では、多くのハリウッド映画スタジオがコストの安いこのオーストラリアに映画スタジオを構え、この地で映画を制作している。

また、多くのオーストラリア人俳優がハリウッドに進出、アカデミー賞常連の俳優も多数いる。ニュージーランドにも多くのユニークなロケ地が各地に存在する。

オーストラリア映画の歴史は古い。1900年代初頭に、世界初長編映画とされる「ザ・ストーリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング」(1906年)を制作した。

以降、1928年までオーストラリアでは150本あまりの長編映画が作られた。途中、低迷の時期に入るも、1960年代に入り、政府が芸術分野や映画産業に注目、映画融資関連の創設や国立の映画やテレビ、ラジオ番組関連の学校の創設など、政府の支援を受けて衰退していた映画産業にスポットが集まる。

ロケ地としも注目を集める。オーストラリア国内はもともとバラエティに富んだロケーションが存在しており、映画制作の現場として最適な場所であったが、ハリウッド資本も進出し、最新技術を駆使した大型作品もオーストラリアで作られるようになった。

オーストラリアで撮影された映画として、「マッド・マックス」(1979年)、「クロコダイル・ダンディ」(1986年)、「ピアノ・レッスン」(1993年)、「プリシラ」(1994年)、「ベイブ」(1996年)、「シャイン」(1996年)、「マトリックス」(1999年)、「ミッション・インポシブル2」(2000年)、「ムーラン・ルージュ」(2001年)、「スターウォーズ・エピソード 2」(2002年)などが存在する。

ニュージーランドでも多くのハリウッド大作映画が撮影されている。ニュージーランド出身のピーター・ジャクソンが監督した「ロード・オブ・ザリング」3部作(2001年~2003年)以降、ニュージーランドの手付かずの自然が世界的に注目を集めた。

以後、「ナルニア国物語」、「ラストサムライ」、「キングコング」、「世界最速のインディアン」、「アバター」、「タンタンの冒険ユニコーン号の秘密」などがニュージーランドで撮影された。

とくに、「ラストサムライ」は日本を舞台とした映画で、多くの日本人俳優も参加した。しかしながら法習慣の違いなどから日本で撮影されるシーンはほとんどなかった。以降も、日本を舞台としたハリウッド映画は存在するものの、実際に日本においてオールロケで撮影される映画は皆無に近い状態が続いている。(つづく)

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伊東 森(いとう・しん): ジャーナリスト。物書き歴11年。精神疾患歴23年。「新しい社会をデザインする」をテーマに情報発信。 1984年1月28日生まれ。幼少期を福岡県三潴郡大木町で過ごす。小学校時代から、福岡県大川市に居住。高校時代から、福岡市へ転居。 高校時代から、うつ病を発症。うつ病のなか、高校、予備校を経て東洋大学社会学部社会学科へ2006年に入学。2010年卒業。その後、病気療養をしつつ、様々なWEB記事を執筆。大学時代の専攻は、メディア学、スポーツ社会学。2021年より、ジャーナリストとして本格的に活動。

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