本能寺の変で泣いたのは嘘?なぜ晩年の豊臣秀吉の夢枕に織田信長が立ったのか?

Osaka, Japan - Circa 2015: Toyotomi Hideyoshi statue and traditional roofs under the rain at temple in Osaka CastleOsaka, Japan - Circa 2015: Toyotomi Hideyoshi statue and traditional roofs under the rain at temple in Osaka Castle
 

豊臣秀吉と織田信長。戦国武将としてあまりにも有名なこの二人ですが、信長に仕えていた時ならいざ知らず、死後において、秀吉は信長をどう評価していたのでしょうか。メルマガ『歴史時代作家 早見俊の「地震が変えた日本史」』の著者である早見さんは今回、歴史を紐解いて秀吉の信長への思いがわかるエピソードを紹介しています。

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秀吉の天下倒壊 秀吉は信長をどのように評価していたのか

秀吉は信長をどのように評価していたのでしょう。

信長の家臣であった頃は心服し、ひたすら忠勤を励んで気に入られようとしていたと思われます。では、信長死後はどうだったでしょう。

以前、NHKのお正月特番で中村勘三郎(当時は勘九郎)さんと笑福亭鶴瓶さんが日本史上の有名人物を語りました。秀吉に話題が及んだ時、勘三郎さんが大阪の縁で鶴瓶さんに秀吉について語ることを求めました。

この時の鶴瓶さんは、正直言って、あまり秀吉のことを知らない、と前置きをして、「ただ、緒形拳が泣くがな」と信長の死を報せる文を読み、緒形拳さん演ずる秀吉が号泣する場面を引き合いに出して秀吉の人間味を話しました。おそらく、NHK大河ドラマ、「太閤記」の場面を指すのでしょう。

対して勘三郎さんは、「わたしの頃は西田敏行さんですけどね」と、同じくNHK大河ドラマ、「おんな太閤記」を例に挙げ、あそこで泣くから秀吉は人気がある、とお二人は意気投合していました。

本能寺の変は多くの大河ドラマで描かれていますが、秀吉を演じた様々な役者さんが信長の死に涙を流す、というのが見所の一つになっています。

実際、本能寺の変報を知り、秀吉が涙を流したのかどうかはわかりません。何より、彼自身が絶体絶命の窮地に立ったのですから、信長の死を悲しむよりも、目の前の窮地をいかに脱するかで頭は一杯だったのではないでしょうか。

ただ後日、本能寺に居合わせた武将で茶人の長谷川宗任から明智勢来襲の様子を聞き、「上さまはさぞご無念であられたろう」と落涙したとされています。

宗任は信長から女房衆を落ち延びさせるよう命じられ、明智勢も女房衆には手出しをしなかった為に生き残ったのでした。

また、秀吉は信長の葬儀を盛大に行いましたが、その際には太刀持ちとして葬列に加わり、この時も涙を流したと記録されています。

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