再来年の大河ドラマでスポットライトを浴びることになっている紫式部。「源氏物語」の著者であることは有名ですが、それ以外にも伝説を持っているそうです。メルマガ『歴史時代作家 早見俊の「地震が変えた日本史」』の著者である早見さんは今回、紫式部について詳しく語っています。
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紫式部の意外な伝説
摂関と言いますね。摂政と関白のことを指します。摂政は天皇が幼少、女性、病気である場合に公務を代行する役目でした。関白は天皇の事情に関係なく置かれましたが、あくまで天皇の補佐役です。
日本史上最初の摂政はご存じ聖徳太子でした。聖徳太子は推古天皇という女帝の時に摂政として政治を行います。次に有名なのが、女帝である斉明天皇の時の摂政、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)ですね。中大兄皇子は後に即位、天智天皇となります。
以降、摂政、関白となった有名人物としては藤原道長、頼通親子、時代が下って昭和天皇が大正天皇の摂政に成っておられます。関白は豊臣秀吉が有名ですね。関白を辞し、息子も関白になった者を太閤と呼びますが、太閤といえば秀吉がイメージされる程に著名です。
ところで、藤原道長は平安時代中期、藤原氏全盛、摂関政治の代表的人物として知られています。「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」という歌は道長の権勢を象徴していると言われてきました。紫式部は道長の娘で一条天皇の中宮となった彰子(しょうし)の家庭教師でした。
道長は、4人の娘を天皇に嫁がせ、3人の孫が天皇になりました。まさしく並ぶ者なき栄耀栄華を謳歌したわけです。道長は、「御堂関白」と称されましたが、意外にも関白には成っていません。道長は左大臣、摂政として朝廷政治を主宰しました。
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道長の権力の源泉は内覧という役職です。内覧とは天皇への奉書や天皇が裁可する文書を前以て見ることができる者です。朝廷の実権を握る役職で、道長は摂政に就くまで、内覧と左大臣を兼ねて権力を行使したのでした。