800年前の“しくじり先生”?「方丈記」の鴨長明を今こそ読むべき理由

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800年前の日本にも「しくじり」ジャーナリストが存在していたことをご存知でしょうか。今回のメルマガ『上杉隆の「ニッポンの問題点」』では、著者でジャーナリストの上杉隆さんが、あの「方丈記」の著者である鴨長明にフォーカスをあて、そのしくじりっぷりを存分に語っています。

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いまこそ鴨長明を読む。800年前のしくじりジャーナリストはいかに生きたか?

大地震、津波、悪政、パンデミック、噴火、戦争……。

この10年余り、日本は多くの災害に見舞われた。時代の変わり目なのか、あるいは「終わりの始まり」なのか、それは誰にもわからない。ただ、不幸な時代の事象を反映するように、いま日本では終末論が蔓延り、予言や都市伝説の類が溢れている。

こんな時代だからこそ鴨長明である。

鴨長明?誰それ?と思うかもしれない。また、『枕草子』(清少納言)、『徒然草』(吉田兼好)と並ぶ日本三大随筆のひとつ『方丈記』の作者だととまでは知っているが、どのような人物かまでは知らないという方もいるのではないだろうか。

50歳で出家した鴨長明については、都を追われて、京のはずれの山奥の「方丈庵」でひとり過ごした厭世文学者のイメージが強いかもしれない。だが、実際の長明は驚くほど人間臭い人物であり、いまでいえば自由ゆえに疎まれるフリージャーナリストのような存在である。

京都・下鴨神社の跡取りとして生まれた鴨長明は、父を正禰宜に持つ御曹司であった。父の死によって、親族からの裏切りや手のひら返しに遭い、孤独な人生を歩み始める。

鴨長明は、約10年間のうちに次々と発生した災難を、日本初の災害文学として遺したジャーナリストであり、勅撰集の編纂を委ねられた歌人でもあり、折琴や継琵琶の名手として傑出したアーティストでもあった。

得度後は、今でいうミニマリストのような暮らしぶりだが、その間にも、還俗を企図するかのような執着や我欲が滲み出ており、俗世と断絶できないかなり残念な、迷いの出家者であったといえよう。同じ50歳で出家したしくじりジャーナリストの筆者が、鴨長明に共感を覚えるのはこんなところが見えるからかもしれない。

さて、その鴨長明の代表作が随筆『方丈記』である。長く日本の教科書にも載っているからご存じの方も多いと思うが、冒頭の有名な一節は、いまだからこそ多くの者の心に響くはずだ。

筆者もそのひとりである。50歳を超え、若い頃には無自覚だった人生の無常に共感しやすくなっているのかもしれない。あるいはまた、若きジャーナリストの頃に受けた、他者からの嫉妬や僻みのイジメに疲れてしまったという共通点が、心を打ったのかもしれない。はたまた、創業者や経営者として数多の裏切りや詐欺に遭った過去がそう思わせるのかもしれない。

いやいや、違うかもしれない。私が仏の道を歩くことになったのは、他人の裏切りや悪行を気にしないよう精神と人生をコントロールしていくためでもなかったか。決して単純な諦観や自暴自棄の類ではない。大悲に基づいての赦しと、世の中の執着や欲求を薄れさせ、無常観や無我で心を満たすよう修行を受けたはずではなかったか。この辺りは『方丈記』の最後、鴨長明のどんでん返しと共通する人生(迷いと苦しみ)でもある。

ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し

(現代語訳/佐藤春夫 河の流れは常に絶える事がなく、しかも流れ行く河の水は移り変って絶間がない。奔流に現われる飛沫ひまつは一瞬も止る事がなく、現れるや直すぐに消えてしまって又新しく現れるのである。世の中の人々の運命や、人々の住家すみかの移り変りの激しい事等は丁度河の流れにも譬たとえられ、又奔流に現われては消えさる飛沫の様に極めてはかないものである)

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