スシロー“ペロペロ事件”で幕を開けた今年の日本に「性善説」は通用しない

Taito City, Tokyo, Japan - June 24 2022: the exterior of Akindo Sushiro a conveyor belt sushi restaurant chain.
 

倫理観や哲学・宗教などは、 残念ながらビジネスには役立たない。だから、積極的には学ばない。しかし、今こそ、人間として良心の復興、道義、真心などを真に学ばなければならない時なのだろう。

あまり宗教チックになりたくないし、スピ系の話をするつもりもないので、「哲学」に焦点を絞りたい。

ただ、イメージ的に、そもそも哲学者って無職が多い気もする(失礼)

実際に過去の哲学者は、仕事もロクにしていないし、結婚もせずに生涯を終える…など、当時アウトローと呼ばれていた人がほとんどなのだ。

では、哲学書は一体誰に向けて書かれているのだろう?

“思考の物語”を楽しめる人に向けて書かれているのだろうと思う。要は考えることが好きな人向けだ。

そもそも「哲学」とは一体何だろう?

哲学とは、「考えるのってチョー楽しいじゃん!」が知れる学問ではないだろうか。一般的な「哲学」の英訳が「フィロソフィー(philosophy)」

「フィロソフィー(philosophy)」って何だろう?

これは「知恵を愛そう」、要するに「考えるのが大好き!」という意味らしい。「哲学って何ですか?」を簡単に答えたいときは、このフィロソフィーの意味を答えるといいのかもしれない。

つまり「哲学とは考えることを愛す学問ですよ!」ってこと。

もうすこし突っ込んでみると、「メタフィジックス」という言葉があった。「メタ」は上位、「フィジックス」は物質という意味で、これは、考えることで物質の新しい法則や本質、意味、価値に気がつくということ。

少し深掘りすると、

私たちの世界には、机やイスなどの触れられる物質、つまり「物」がある。この物をただ使うだけではなく、さらに上の思考、つまり物に触れたり見たりするだけではなく、「本質」を考える思考を指す。

たとえば原始時代を思い浮かべてみると・・・。周辺には石がある。そこで頭のいい人は、単純に石を使うだけではなく、石しかないという状況から新しい法則を考えはじめる。

新しい法則とはどういうことなのだろうか?

「石を落としてみるとみんな同じように下に落ちていく」というように、ただそこに転がっている石には「こんな落ち方をする法則があるんだ」と気がつく。

今まで物だけしかない世界で生きていた人たちが「あれ? これってなんだろう?」と気がつき、考えはじめる。それが「メタフィジックス」だという。

私たちは生まれたときから当たり前に、物の法則や価値を知っているが、「なんでこんな物があるのかな? 何ができるのかな?」と先祖が考えたことによって、法則や価値が生まれてきた。

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