言葉の価値観は日本や海外でも大きく違う。
たとえば、海外では兄も弟も「brother(ブラザー)」という。
しかし、日本では「兄・弟」と分けている。これは海外では兄弟というものは年齢関係なくフラットに扱われるもので、日本では上下関係を重んじている…とも考えられる。
国々によって価値基準が微妙に違うことを知るだけでも立ち位置がわかるではないか。
知らず知らずのうちに、自分で言葉や物事の価値の取捨選択をしているのに気づいていくのも面白い。
資本主義社会システムの中で、「いかに売上を伸ばすか」という問いかけが疲弊している現在にこの事件は起こった。スシローの株価が急落してどうにかしたいという経営者の気持ちは痛いほど良くわかる。
でも、なぜ、ペロペロ事件が起こったのか?動機に関しては詳細に表に出てこない。個人個人の思想は自由だが、自由だからこそ、思考形態に関して、正しい見方、聞き方、生き方までもが評価される時代になってきた。
昨今の殺人事件しかり、なぜその人を殺さなければならなかったのか?殺したいという動機の検証がいま求められている。
その良い例が最近あった。
東京 八王子の東京都立大学で、教授で社会学者の宮台真司さんが刃物で襲われ重傷を負った事件だ。
容疑者とみられる41歳の男が事件から2週間余りあとに死亡していたことが警視庁への取材で分かった。
これを受けて宮台さんは1日、インターネット放送局の番組の中で心境を語った。
「気持ちのふんぎりがつきにくい。動機が分からないので釈然としない気持ちで、問題を解決できたという気持ちにならないまま先に進むのが残念だ」などと述べた。
自分が「襲撃」されたという事実よりも「動機」が知りたいと真っ先に語った。
更に、「いろいろな人がいろいろな状況で生きている中でことばが社会にどのような影響を与えたり、受け止められたりするのかが分かるのは僕にとっては非常に重要なことだ」と話した。
そして、最後に「憎しみよりも悲しい気持ちがある。人が死ぬのはどんな理由があれ悲しい。悲しみを受け止めるにはものごとの背景が分かり、どれが手当てできてどれができないのかがはっきりすることによってだ」とも話したのだ。
憎しみよりも悲しい気持ちがある。
とても含蓄のある、深い言葉だった。
だからこそ、倫理・哲学・宗教などをきっかけとして、自分自身が自分自身に対して考え続けることで、見いだせるものが必要なのだ。
忘れ始めている「道義」 というものをしっかりと見失わないように、地に足をつけて、思いやりのある、一歩を踏み出す存在が増えればいい。
そのための韓非子的な処罰だと飲み込んだ。
次世代を担う、Z世代に対して心から応援する・・・拙いオヤジの独り言でした。
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