人間の主食であるコムギを作った土地は3年後でないとコムギが植えられないため、常にコムギを作るためにはかなり広い土地を計画的に管理する必要がある。そうなると当然、農地の集約化が進み、領主の権力の増大に資したと思われる。三圃制にとって、家畜は食料としてばかりでなく、労働力としても重要で、畜力は畑を耕す効率が人力よりはるかに高く収量が増大した。
余剰生産物は貨幣化されて、農民の自立を促し、農奴性の崩壊の契機を作ったと言われている。ともあれ、家畜を使う畑の耕起は「道具の脱人間化」の一環であり、生産手段を人間以外のものに移して、自給自足から多少遠ざかるわけで、自己家畜化が進むことになる。
18世紀になると、農業革命が起こる。農業革命は三圃制よりさらに効率がいいノーフォーク農法と呼ばれる休閑をなくした農法と、囲い込みによる、収量増大運動で、この結果、穀物生産量が飛躍的に増え、ヨーロッパの人口増加を促した。
ノーフォーク農法は4年周期の輪作で、同一耕地にオオムギ→クローバー→コムギ→カブなどの根菜、を順番に栽培するもので、クローバーとカブは家畜の飼料となった。冬の寒さに強いカブを栽培することで、1年を通して穀物の栽培と家畜の飼育が可能になった。
クローバー(他にもサインフォイン、ライグラスなど)は地力を回復させる性質を持っているため、放牧と同時に地力回復を図れ、家畜の冬季の糞も肥料になったため、この農法はきわめて合理的であった。しかし、この農法は三圃制よりも集約的な労働と、広い耕作単位を必要としたため、土地を借りて農業を行っていた小作農から土地を取り上げる、いわゆる「囲い込み」が起こり、多くの農民が賃金労働者になったと言われる。
食料を曲がりなりにも自分で作って、自分で食べるというやり方から、食料を作って賃金を貰い、それで食料を買うというより間接的なやり方になったわけだ。貨幣経済の発達がこれを可能にしたが、自己家畜化は一段と進んだことになる。
農業が効率的になった事により、同じ収量を得るために必要な農業人口は、減少する。もちろん食料が増えたので、人口は増加するが、農村は増えた人口を労働力として使う必要がなくなってくる。そこで、起きたのが産業革命である。産業革命は工業革命とも言われ、従来、人力で行っていた労働の一部を機械化して、人力以外のエネルギーを投入して、効率的に製品を作ろうとする運動である。(一部抜粋)
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