世襲議員「増加」の悪影響も。導入から30年を迎える小選挙区制の功罪を総括する

 

「政権交代」という貴重な国民的政治体験

第2に、細川(1)が言うように「〔国民が〕政権交代を経験することが出来たので、制度そのものは機能した」ことが重要である。2009年9月から3年3カ月続いた旧民主党政権は、そのしんがりを務めた野田政権のあまりにだらしなくもはしたない政権投げ出しに終わったことから、同党自身がその体験の達成点と問題点をきちんと総括して国民の知的遺産として残すことが出来なかった。しかも、野田の後を継承した安倍政権が事あるごとに民主党政権を「悪夢」と罵りマスコミもそれに同調もしくは容認するというデマゴギー状況が10年以上も続き、極端なマイナス評価が定着させられてしまった。しかし、「政権交代可能な政治風土を涵養しよう」と覚悟して選挙改革を断行し、細川が言うように「5回の衆院選を要した」ものの、ともかくも「この制度の下で政権交代を経験することが出来た」のは、まことに貴重な国民的政治体験であったので、そのようなものとして改めて振り返ることが大切である。本誌は2011年11~12月の段階で鳩山・菅両政権の挙げた成果についての中間的な総括を提供していたので、参考までに本号で《参考資料1》として再録する。

さて第3に、これに関連して重要なのは、細川(3)の「2大政党制を必ずしも求めたわけではなく、穏健な多党制が日本の国民性に沿っている」との指摘である。

93年当時の議論では、私自身を含めて多くの論者は小選挙区制に転換すれば自ずと2大政党制への道が拓かれるものと思い込んでいたし、また09年の民主党政権成立も、保守=自民vsリベラル=民主の2大政党制への一過程という捉え方だった。しかし細川はどうもそうではなく「穏健な多党制」がむしろ日本には相応しいと考えていたようで、今になってみるとどうもこれが正しい。と言うのも、93年に一旦野党に下り94年に自社さの村山政権として政権に復帰して以来の自民党は、小渕内閣の最初の半年ほどを例外として、自自、自自公、自公などほぼ全期間にわたり連立を組んで政権を維持しており、それに対して旧民主党も社会民主、国民新党と結んだ連立体制で政権交代を果たしたのだった。

つまり、93年の小選挙区制導入は実は、2大政党制ではなく多党連立制への入口だったのである。そこでは、日本と同じ時期に似たような選挙制度を導入したイタリアの場合が参考になる。保守・リベラルの双方ともが選挙のたびごとの政権・政策協議と選挙協力の組み替えを行いながら、連立による政権交代を繰り返し、それを通じて次第に2大連合勢力の形成、ひいては弱小政党を吸収して2大政党制に近い形へと収斂して行った。そのように連立政治への習熟こそがむしろ2大政党制的政治状況を生む道筋なのだと言う自覚が足りなかったという問題が、小選挙区制30年を総括する場合の実は最大の核心なのではあるまいか。

なお私はだいぶ後になってそのように整理することができるようになり、本誌で何度もそれを書いてきているが、その一例として、No.859(16-10-17)「この『政治改革』の四半世紀は一体何だったのか?」の一部を《参考資料2》として本号に添付する。

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