12月8日は米ハワイの真珠湾攻撃から82年目の日になります。薄れゆく戦争の記憶とともに、二度と同じようなことを繰り返してはならないということを後世に伝えていく無料メルマガ『≪≪<戦場から故郷への便り>≫≫』では、南シナ海パトロン岬にて戦死した28歳の青年が故郷の父親に宛ててしたためられた手紙が紹介されています。
ふるさとの風や~戦没兵士の手紙集~その63
戦没兵士の手紙集の連載です。雪凍る北満の地で、暑熱のジャングルや孤島で、傷つき倒れ、あるいは飢え、また太平洋の底深く沈められ、はては沖縄で武器も持たず丸裸で殲滅されていった人たち。
将来ある有為の人材が戦場の露と消えた。平和国家日本70年の歩みを停めてはならない。日本は戦争しない国であってこそ存在価値がある。太平洋戦争で300万人もの人命を失った大戦争を忘れようとしている。。 忘れてはならない太平洋戦争、戦場に死んだ若者たちの手紙を今の日本に伝えたい。
今、時の政権により80数年前と同じ過ちが繰り返されようとしている。私たちは戦争できる国、戦争する国になる流れを何としても止めなければならない。平成生まれの若者を戦場に送り、犬死させたくない。1人が戦死すれば何十人もの身内、友達が悲しむ。相手の兵士を倒せば、相手の国でも同じことが起り敵国を恨むことになる。負の連鎖を起こしてはならない。
暑中お伺い申し上げます。 暑気厳しき折から、如何が御過ごしにてございましょうか。
当方は至極元気で、一意軍務に精励しています。ヤシの木の茂る当地に来て、豊富な果実にはもう魅力が無くなりました。決してこれがため身体を損ねて御奉公に支障をきたすようなことはありません。
なかなか行動が遅く、その反面、各地の風光、人情についてゆっくり見られます。便りは表記宛にお願いします。
先ずは、暑中お伺いまで。
昭和18年8月6日
守道 友次郎様
M・Y 昭和20年1月12日 南シナ海パトロン岬にて戦死 28歳 陸軍大尉
戦地から父へ暑中お見舞いのハガキが届いた。
便りは表記宛に願いますと書くが、父からの便りは戦場の息子の下に届いたであろうか。
日毎に日本の敗色は募ってゆく。
文面にはあくまで平静の様子が綴られている。
内心を吐露すれば検閲に遭い、軟弱者の烙印が押されるであろう。
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