『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』といった数々の名作テレビドラマの脚本で知られ、23年11月29日に老衰のため89歳で鬼籍に入った山田太一氏。辛口評論家として知られる佐高信さんは、そんなシナリオ界の巨匠と長いつきあいがあったと言います。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では佐高さんが、山田氏とのエピソードを紹介。彼が語った、作品中に「細々とした日常」を描くようになったきっかけや、好きだった俳句を作らなかった理由等を明かしています。
しわのない人生はつまらない。脚本家・山田太一が意表を突かれた一言
ふと手に取った本に2015年秋に山田太一が信州岩波講座で講演した時の一節が引かれていた。演題は「80年を生きて」である。
ある時、山田は画家の木下晋のおばあさんの絵に圧倒された。鉛筆で細密に描かれた目や額や頬のしわがすごい。その後、偶然、木下に会って、「どうしておばあさんばかり描いているんですか」と尋ねた。答えは「しわのない肌なんてつまらない」それに山田は意表を突かれたという。
ものを書く時の支えが、私にとっては、城山三郎と共に山田だった。編集者時代からの長いつきあいだったことにもよる。城山や山田に恥ずかしくないものを書きたいと思ってきた。
本になっただけでも山田との対談は3回分あるが、改めてそれを読み返してみた。最初は何とJR東海のPR詩『ひととき』の1991年夏号掲載である。
そこで山田は、日本の神父がフランスの修道院に行ったらノミがたくさんいたので「こんなにノミがいたら死んじゃう」と言って、「死んじゃ困るのか」と反問された話を紹介している。
そして「そのぐらいの革命的な反問をわれわれはしょっちゅうしていないと駄目だというところがあるんじゃないか」と山田は結んでいる。
『俳句界』の2008年5月号の対談では、山田がズボンに夏と冬の別があることを知らなかったことから入った。母親がいない男世帯で育ったからだという。
「作品で日常の細々としたことを描くようになったのはそのショックからだと思います」
客が来た時に座布団をパッと裏返して出すということも知らなかった。その時、山田は「私は今年74歳になるんですが、周りが実に病人だらけなんです」と言って、次の久保田万太郎の句を引いた。
どこ見ても病人ばかり藤咲ける
何となく俳句の雑誌だからと、そこに話を持っていく気遣いを示す人だった。
今は亡き人と二人や冬籠
この万太郎の句も山田は好きだという。
風花やいつおぼえたる顔みしり
私も万太郎ではこの句が好きだと応じた。
山田のドラマに、次の安住敦の句が出てくる話がある。故郷に帰る話である。
鳥帰るいづこの空もさびしからむに
安住も万太郎の系統の俳人だが、やはり、その系統の能村登四郎の次の句を賀状に引いたことがある。
幾人か敵あるもよし鳥かぶと
「うわあ、すごい句ですね」と感嘆した山田に、俳句はつくらないかと尋ねた。
「深入りすると、定型のために心情も感覚も変えていってしまいそうな感じがして」
句作はしないと山田は言ったが、学生時代の親友、寺山修司の才能に圧倒されたからでもあるらしい。「私は資質としては韻文ではないですね」と山田は言っていた。(文中敬称略)
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