鳥山明評にみる朝日新聞「天声人語」の巧妙なレトリック
3月9日の朝日新聞「天声人語」は「40年以上も前のこと。丸いメガネをかけた同級生はアラレちゃん、食いしん坊の子はガッちゃんと呼ばれていた。」という書き出しで、『Dr.スランプ』だけを褒めちぎった。
中でも特に「なんといっても画期的だったのは『うんち』だと思う」として、「子どもは大好きでも、うんちはまだどこかタブーな存在だった」当時にあれだけウンコを描けたのは「センスも技術も突出していたからだろう」と称賛していた。
タブーを破ってウンコを描いたのがすごいのなら『おぼっちゃまくん』こそ称賛してほしいものだし、それ以前にも『トイレット博士』というものすごい漫画があったのだが、それはともかく、「天声人語」は「鳥山作品はもちろん、『ドラゴンボール』も面白い。でもやっぱり、ペンギン村のアラレちゃんたちが一番好きだった。 」と締めくくっていた。
さすがは朝日新聞、よくわかっている。
『ドラゴンボール』は好戦的な漫画だということも、それをけしからんと言っても嗤われるだけだということもわかっている。
だから『ドラゴンボール』は無視して、アラレちゃんだけを褒めまくったのだ。 そうすれば保身はできる。すべてをわかっていて書いている。
小林よしのり氏が「戦闘漫画」を嫌う理由
わしは、そもそも戦闘漫画が嫌いである。
それは「反戦平和」のイデオロギーからではない。飽きてしまうからだ。
ジャンプ特有の、敵を倒したと思ったらより強い敵が出てくるというパターンが繰り返される、戦闘エスカレーション漫画がわしは以前から嫌いだった。
とにかく次から次にもっと強い敵が出て、どんどんエスカレートしていかなければならないという展開には、どうしても飽きてしまうのである。
とはいっても、わしはそういう漫画があること自体が悪いとは思っていない。 お好きな人はどうぞというだけだ。
ただ、わしには「ハイパーインフレーション」を起こしていくような感じで戦いのシーンばっかり描いていくなんてことはできないし、したくもない。
ひたすら戦いたいという意欲だけが際限なく続いていく漫画というのは、何が面白いのか、わしには全く理解できないのだ。