『北の国から ’87初恋』でも見せた存在感。孤高の俳優が若き新聞記者の心に残した痛烈な一言

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『北の国から ’87初恋』や『Dr.コトー診療所』をはじめ数々の名作ドラマで重要な役どころを演じ、3月20日に94歳で鬼籍に入った坂本長利さん。「名優」として名の挙がる坂本さんは、一人芝居『土佐源氏』をライフワークとし、1967年から実に55年もの間、国内のみならず海外でも演じ続けたことでも知られています。そんな坂本さんとの交流を振り返っているのは、要支援者への学びの場を提供する「みんなの大学校」学長の引地達也さん。引地さんはメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で今回、自身が新聞記者時代に坂本さんを追うようになたきっかけと、『土佐源氏』公演前の楽屋で坂本さんからかけられた今も忘れられない言葉を紹介しています。

本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです

一人芝居『土佐源氏』の坂本長利さんが導いた「道」

俳優、坂本長利さんが亡くなった。

人の深奥を表現しようと探究する役者の「魂」に触れた日々は今も忘れられない。

「何も分かっていないよ」と若い私を諭した声音は心に響き続けている。

テレビドラマ『Dr.コトー診療所』『北の国から』の出演で存在感のある役柄で知られる坂本さんだが、小劇場運動の先駆けとして活動した舞台俳優として師と仰ぐ人も少なくない。

馴染みやすい風貌とどことない「孤高の人」の雰囲気を兼ね備えた役者は私にとっても師であり続けた。

1967年初演の一人芝居『土佐源氏』は海外を含め1,223回の上演を重ね、呼ばれたらどこへでも出向く出前芝居もライフワークであり、地方でのファンも多い。

私は民俗学者の宮本常一の軌跡を追っていた頃、宮本氏の名著『土佐源氏』の取材で坂本さんの芝居に出会った。

高知県梼原村(現梼原町)の目の見えない元博労の「乞食」の一人語りを宮本氏が聞き書きした作品に、坂本さんが「ここには人間がいる」と感じ入り、自身が脚本に書き起こした芝居である。

「お前もよっぽど、酔狂ものじゃのう。乞食の話を聞きにくるとはのう」。

薄暗い舞台は蝋燭だけが灯され、遠くから聞こえる御詠歌と鈴の音。むしろをまとった乞食がおぼつかない足取りで舞台のそでから現れ、一人語りが始まる。

私が20代半ばの頃、新聞記者という仕事にちょっとした違和感を覚えていた時期。

事件取材や行政取材で然るべき人に話を聞くことが優先された日々、「普通の言葉」に飢えていた無垢か無知の瀬戸際にいた私に、声なき声を書き続けた民俗学者、宮本常一はあるべき道を示してくれた。

集落から集落を旅し、人々の暮らし、生業、考えを聞きつづった「旅する巨人」は憧れともなり、宮本氏は当時亡くなっていたが、存命だったご家族に会い、身近に宮本氏を感じ、そして膨大な著書の中でも人を描いた代表作である『土佐源氏』は、人が生きることの根本を問いかけてきた。

宮本氏の足跡を追っていた私は、それを芝居で表現しようとする坂本さんと出会い、一人芝居を続ける坂本さんを追うようになった。

一人芝居の場に赴き、楽屋で話をし、舞台を見て、そして芝居後にも交流し、時には当時、坂本さんが住んでいた原宿でもお茶をしながら、孤高の役者の言葉を拾っていった。

土佐源氏の冒頭のセリフは、坂本さんが私に直接問いかけてくるような気がしてならなかった。

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