分割統治の憎悪がガンジーを抹殺した?
ガンジーはイスラム教徒の敵ではない。実際にパキスタンの分離独立が決まると、インド国内のイスラム教徒がヒンドゥー教徒の猛烈な暴力や差別にさらされた。するとガンジーは、逆にヒンドゥー教徒の狭量さを批判して、さらに融和を推し進めようとした。この政治家は、それほど懐の深さと慈愛心に富んでいた。
しかし、国民の間には憎悪が渦巻いていた。
イスラム教徒の頑なな姿勢がインドに混乱を招き寄せ、破滅的な状況にしてしまったと、ほとんどのインド人は考えていた。義憤に駆られるヒンドゥー至上主義者には、ガンジーの慈愛は、まったく理解できないばかりか、激しい怒りさえ覚えるものだったようだ。
「国を混乱させたのはイスラム教徒ではないか。なぜヒンドゥー教徒の精神的指導者であるガンジーが、そんなイスラム教徒を擁護するのか……」
やり場のないヒンドゥー至上主義者の爆発的な怒りが、やがてガンジー暗殺へとつながっていった。ガンジー暗殺は、まさに彼の慈愛心が生み出した悲劇だった。
イギリスはインドという植民地をマハトマ・ガンジーのせいで失ってしまった。しかし、イギリスが行ったヒンドゥー教徒とイスラム教徒の「分割統治」によって生み出された「憎しみ」が、最後にはガンジーを抹殺した。
ガンジーの暗殺はイギリスがコントロールしたのではない。イギリスが植え付けた「憎しみ」が、あたかもイギリスの意思に沿うように、自動的にガンジーを葬り去ったのである。
イギリスがしたことは簡単だ。
国民を2つに分け、憎悪を作り出し、憎悪の矛先を互いに向けさせたのだ。
ルワンダで起きた大虐殺も分割統治が遠因だった
ルワンダの大虐殺は、フツ族とツチ族との憎悪が生み出した最悪の虐殺だった。実は、この憎悪もまた欧米の植民地統治から生み出されている。ここを統治していたのはドイツだ。イギリスではない。
しかし、植民地統治とは「分割統治」がうまくいくことは知られていたから、ドイツもその手法を使った。ドイツはルワンダの中でも少数派のツチ族に目を付けて、ツチ族を支配者にしてフツ族を統治させたのだ。
少数派が多数派を統治する。
そうすると、憎悪の目は少数派のくせに威張っている少数派に向かって行くのである。猫がねこじゃらしの穂先と戦っているのを見て、人間は笑う。ねこじゃらしの穂先は人間が操っているのに猫はそれに気がついていない。
しかし、分割統治で「憎しみ」が作り出されると、人間もまたそうなるのである。少数派による統治が長らく続くと、憎悪が決定的に固定化していく。操っている黒幕が見えなくなってしまって、当事者同士の憎しみだけがクローズアップされていくのだ。
「憎しみ」がどんどん育って、黒幕のことを考える余裕がなくなる。
そして、その国を収奪し終わった欧州諸国が引き上げた時、いずれ悲劇が訪れるのだ。権力の後ろ盾を失った少数民族は多数派の中にぽつりと取り残され、迫害の対象になり、場合によっては惨殺されていくのである。
それが悲劇的な形で起こったのがルワンダの大虐殺であった。たった100日の間に100万人近くが虐殺されたのだから凄まじい。フツ族過激派によるツチ族大虐殺であった。この虐殺に反対する常識のあるフツ族もまた一緒に虐殺された。