日本・フィリピン・シンガポールなどを結ぶ新国際海底ケーブル「Candle」の建設プロジェクトに、Metaやソフトバンクと肩を並べて参画している企業があります。
株式会社アイ・ピー・エス<4390>、時価総額500億円規模の通信会社です。あまり馴染みのない社名かもしれませんが、フィリピンでは確かな地位を築いています。2026年5月、フィリピンのマルコス大統領の国賓来日に合わせて開かれたラウンドテーブルには、三大メガバンクや大手総合商社、トヨタ自動車といった大企業と並んで、同社も招かれていました。
「誰もが知る顔ぶれのなかで、『この会社はなんだろう』と思われたのは弊社だけだと思います」と、同社の常務取締役経営企画本部長兼CFO・川渕正光氏は振り返ります。なぜアイ・ピー・エス社はフィリピンでこれほどのポジションを築き、世界の大手企業と並んで海底ケーブル建設事業の参画に至ったのでしょうか。
その強みの源泉と海底ケーブル完成後にどのような成長戦略を描いているかについて、川渕氏にうかがいました。(『勝ち株ガイド | Invest Leaders公式メルマガ』石塚由奈)
取材・執筆:石塚 由奈(いしづか ゆうな)
日本投資機構株式会社 経済メディア『インベストリーダーズ』編集、証券アナリスト(CMA)、テクニカルアナリスト(CMTA®)。国内株式、海外株式、外国為替の領域で経験豊富なアナリスト・ファンドマネージャーのもと、金融市場の基礎・特徴、マクロ経済の捉え方、個別株式の分析、チャート分析、流動性分析などを学びながら、日本投資機構株式会社では唯一の女性アナリストとして登録。自身が専任するLINE公式など各コンテンツに累計7,000名以上が参加。X(@yuna_investment)のフォロワー数も3万人を超える人気アナリスト。
なぜフィリピンに賭け、どうポジションを確立したのか
同社の社名であるIPSは、「International Placement Services」の略です。
「国際的な人材の交換所」のような意味合いでこの名前をつけたとのことです。
由来からも分かる通り、同社は「海外の人材を日本に紹介する人材関連ビジネス」を出発点として1991年に設立されました。
創業者の宮下幸治社長はリクルート出身です。
▼それが今では、フィリピンを中心とした国際通信事業を中核として、日本国内の通信事業や、フィリピンで日本品質の医療を提供するメディカル&ヘルスケア事業も手掛けています。
アイ・ピー・エス社が、フィリピンの通信インフラを担う企業に変貌するまでの歩みをうかがいました。
<創業者・宮下社長の原体験「唐行きさん」とフィリピンの縁>
創業当初、宮下社長は人材関連ビジネスがバブル崩壊で伸び悩むなか、知見のあった通信事業にも着手しました。
実際に国際電話サービスを展開してみると、在日フィリピン人向けの需要の強さに手応えを感じます。
そこから、故郷に仕送りをしながら日本で働くフィリピン人のニーズに寄り添って、サービスの幅を広げていきました。
それでも当初は、フィリピンに本腰を入れるつもりはなかったといいます。
「一時はこの事業で食いつなぐけれど、また人材ビジネスに戻ろう、あるいはフィリピンに限らずもっと幅広い国際ビジネスを考えよう、と考えていた時期もあったようです」と川渕氏は話します。
宮下社長のそうした姿勢が変化した背景について、川渕氏は象徴的なエピソードを教えてくれました。
「『唐行きさん』という言葉をご存知でしょうか。
明治の頃、天草・熊本あたりの若い日本人女性が、東南アジアへ渡っていった歴史があります。
宮下の祖先のルーツは天草地域にあり、その歴史を詳しく知る機会がありました。
一方で、当時の日本には、家族のために来日して働くフィリピンの方々が数多くいて、宮下はそうした人たちと日々向き合うビジネスをしていました。
海を越えて働きに出る人々と、自分の故郷の歴史とが重なり、フィリピンとの不思議な縁を感じたそうです。
そこから、『これも何かの縁だから、自分はここに本腰を入れてビジネスをやるべきだ』と、フィリピンの通信事業に注力するようになっていったと聞いています」
今もフィリピンで事業を続ける宮下社長の軸には、「フィリピンのインフラを、日本の品質とノウハウを持ち込んで良くしたい」との思いがあります。
<現地事業者から相談を受け、通信事業へ本格参入>

そして、2010年にフィリピン現地でのビジネスに本格的に乗り出します。
きっかけは、現地のケーブルテレビ事業者から「もっと使いやすく、安定した国際通信回線を提供できないか」と相談されたことでした。
フィリピンでは、日本と同様に、ケーブルテレビ会社が地域のインターネット接続サービスも提供していました。
しかし、当時のフィリピンの通信市場は、大手2社による寡占状態。
価格・品質・柔軟性の面で、中小インターネット接続サービス事業者のニーズを十分に満たせていない状況でした。
そこへ同社が、安価で高品質な国際回線を提供し始めたところ、爆発的な需要が見つかります。
「マニラ首都圏のインターネット価格は、我々の参入で半値ほどに下がったと聞いています。
規模は全く違いますが、かつてソフトバンクがモデムを配って通信業界に参入したときのような影響が、少なからずあったのだと思います」
ここから同社は、フィリピンにおける通信事業の成長性を強く認識し、現地子会社を設立。
通信免許を取得した上で、ISP事業、自社光ファイバー網の敷設へと事業を広げていきます。
<障害を乗り越え、通信ネットワークを構築>

フィリピンという新興国でビジネスを展開する上では、苦労や障害も多かったはずです。
川渕氏は、その難しさについて、こう話します。
「外資企業が通信という社会インフラを手掛けるには、免許を取るだけでも大変な苦労があります。
事業の様々な局面で免許や認可が必要になります。
そこには当然、人間関係を一から作る難しさもあったでしょうし、業界内の調整もあったはずです」
そうしたなかでは、現地のケーブルテレビ事業者と築いてきた関係が大きな支えになりました。
「フィリピンでは、地域のケーブルテレビ会社の経営者が『地域の名士』とも言える立場にあり、強いネットワークや発言力を持つケースも少なくありませんでした。
そうした事業者と長年にわたり信頼関係を築いていたため、フィリピン進出に際しても多くの支援をいただけました」
また「フィリピンの通信インフラを一緒に良くしていく」姿勢を持ち続けたことも、信頼につながったといいます。
そして重要なのは、この積み重ねが、後発企業にとっての参入障壁になっている点です。
「外資規制はすでに撤廃されましたが、これから外資が参入しようとしても、ゼロからネットワークを構築するには莫大な時間とお金がかかります。
我々はフィリピン全土をカバーする通信ネットワークをある程度作り上げています。
それ自体が参入障壁になりますし、政府や各方面との関係性もバリアになります」
この「フィリピン全土をカバーするネットワーク」と「政府・業界との時間をかけて築いた信頼関係」こそが、マルコス大統領来日時のラウンドテーブルに、日本の巨大企業と並んで招かれた理由でもあります。
「フィリピンで我々がやってきたことからすれば、そこでスピーチをするのは当然だろう、とも思うんですよね」と川渕氏は語りました。
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