瀕死のイギリス。EUよりも先に「UK連合王国」がバラバラの危機へ

 

経済実利だけの英国の姿勢

第2に、そのEUに対して、崇高な政治的理念の部分を共有せず、専ら経済的な実利だけで関わってきた英国の基本姿勢の矛盾がある。

戦後直後に「ヨーロッパ合衆国」という理念を最初に口にしたのはチャーチル英首相だったとされているが、それは戦争を繰り返してきた大陸欧州への「上から目線の忠告にすぎず、英国自らがその実現に邁進するつもりなど毛頭なかった。67年にECが出来て、その6年後にそれまでの仏独伊など原初6カ国に加えて新たに英国がアイルランド、デンマークと共に加盟し、欧州に単一市場を設立する作業に参加するが、その姿勢は国益重視の是々非々主義が基本で、85年に成立したEU内の人の移動を自由にするためのシェンゲン協定にも、98年に創設された統一通貨ユーロにも英国は参加しなかった。

EUの本質は、上述のように「不戦共同体」であり、そのために各国が「国家主権」というやっかいな代物をどう取り扱って、お互いに我慢して譲り合ったり身を削ったりしながら知恵を出し合っていく、それこそ「熟議」のプロセスを重視しなければならない。が、英国は「欧州の一員」としてフラットな立場でそれに参加するつもりがなく、むしろ米国との「特殊な関係」=アングロサクソン同盟を背景に大陸を一段下のものであるかに見下して、ドイツが再び強大化したり、そのドイツ主導で欧州がロシアと接近しようとしたりすることがないよう、米国に成り代わって「監視」する役目さえ引き受けてきた。

冷戦崩壊後に、大陸で「脱NATO」の機運が生じ、独仏が中心となった欧州共同防衛軍創設の構想が出かかった時にも、米英は協力してこれを潰し、米国の事実上の指揮権下にあるNATOの存続とその東方への拡大を画策した。

このようにして、かつての大英帝国の栄光へのノスタルジアと中途半端な冷戦意識の残存が入り交じった英国流の大国主義の下では、EUのリベラルな基本精神を共有することなど出来る訳がない。そうすると、EUとの関係は、単に損得だけで計ることになり、それが今回さらに歪曲されて「EUへの拠出金を国内に回せ」「移民や難民を入れるな」という離脱派の幼稚としか言い様のないキャンペーンに国民がコロリ騙される事態を生んだのである。

その先には何の建設的な展望もない。EUとの離脱交渉は、公式には2年間と言われているが、実際には難航を重ね、5年でも10年でもかかるかもしれない。その間、独仏側は決して英国に「いいとこ取り」を許さないという態度を貫くだろうから、英国は何とか実利を確保しようとして激しい消耗戦を強いられた上多くの果実は得られないだろう。そんなことに精力を使い果たすよりも、EUのよりよき一員としてその理想の達成のために内部から改革に努力する方が遙かにマシだったと思うが、もはや後の祭りである。

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